2012年12月26日水曜日

生まれ続ける物語

バベル スタンダードエディション [DVD]
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ギャガ・コミュニケーションズ 2007-11-02
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言葉があふれそうになったので、こんな時間にブログを書きます。

今日は少し早く帰れたので、映画「バベル」を見ました。
とても悲しくて、とても良い映画でした。

まず、「バベル」というタイトルが素敵だと思った。
別々の言語を話す、別々の国の人たちがそれぞれの世界の中で、
それぞれの問題にぶつかりながら生きている話で、
それぞれの問題でありながら、ひとつの出来事で少しだけ結びついている。

ストーリーに関して詳細は省くけど、
モロッコ、アメリカ、メキシコ、日本、それぞれの場所で生きている登場人物たちは、
生き方は全く違えど、誰かを大事に想い、誰かに助けられ、誰かを傷つけ、気持ちを動かされている。

誰しも、自分ではどうにもできない悲しさを抱えている。
「どうにもできない悲しさ」に気付いている、気付かされる。

「どうにもできない悲しさ」は、今、この現実にもみんな抱えているものだと思う。
それは、私には想像もできない過酷な現実もあるだろうし、孤独感もあると思う。

孤独感ってなんだろう、と、この2年くらいずっと考えてきた。
誰もが抱えていて、誰も救えない。救われない。
孤独感からの解放を求めて、恋や酒や食や性に溺れてみたり、自己表現したりする。
でも結局、完全な解放はありえないのだとどこかで気付いてしまう。

私もずっと、孤独感からの解放を求めて、あがいてきたと思う。
今でもそうだと思う。
でもやっぱり解放される事はない。

「バベル」の泣けるところは、
人は、誰かの「どうにもできない悲しさ」をどうにもできないと知りながら、
それでも救いたいと思うものであることが、描かれているところだ。
救えない孤独感を、それでも救いたいと手を差し伸べることに、愛を感じるからだ。

私が好きだと思う映画や物語は、決まって、孤独感と丁寧に向き合っていることに気付いた。
私が好きだと思う人たちは、孤独に気付いている人が多いことに気付いた。
私の愛は、大事な人の孤独感を、埋める事ができないと知りながらも、
それでも、少しだけでも、埋めることができればと願うことに気付いた。
私の絵が、誰かの孤独感に共鳴し、寄り添うことが出来ればいい、と思う。

人の孤独は全部は救えないけど、ちょっとは救える。
救いたいと願う。
だから私は人が好きだ。その可能性を信じたい。
私は今日、頂いた一通の手紙に救われました。
その手紙は、きっとこれからの私の自信になり、支えになり、勇気になり、力となる。



今年は良い映画にたくさん出会えました。
特に覚えているのが、「レナードの朝」、「ダークナイト」、「ドッグヴィル」。あと「皇帝ペンギン」。
好きなものの共通するキーワードが「孤独感」であることには気がついたけど、
個々の物語は無数に生まれ続ける。一生それを追い続けていくのだろうと思う。

物語と別のところで、好きな映画は、映像の湿度にあると思ったのですが、
それはちょっと眠いので別の日にかきます。。。。

「バベル」の映像は、国ごとによって別の監督が撮ったのかと思う程、すばらしかったです。
日本のシーンは邦画のような湿度を感じました。(夜の室内は少し中国の映画の様な青さを感じたけど)
まるで旅行をして、各国の空気に触れた気分です。

気付きのある、よいクリスマスでした。
おやすみなさい。

2012年12月13日木曜日


告知
CDジャケット、歌詞カードのデザインをさせていただいた、
イソフラボンのフルアルバムが明日から発売されます。
本当に良い音楽なので、ぜひ皆さんに聞いてもらいたいです。
歌詞カードの方も、長い付き合いの2人とだからこそ、いいものが作れたと思います。
明日レコ発ライブです。詳細はこちら



***
つい最近、あるものにとても憧れて、高揚した。
久しぶりにどきどきするものに出会えた。
その時に自分は自分のフィールドで戦おう、と思った。

今まで、憧れる人や、作品に出会った時、
どんなにジャンルが違っても自分と比べてみじめな気分になり、自信を失ってた。
でも今回は、私には私の戦える場所がある、と思えた。
決意だけしても意味はないけど、何を行動すればいいのか、
目標ができたので分かるようになった。

それが今年の収穫だと思う。
めざす方向を定めることができた。
そのためにどう動けばいいのか、少し分かった。
来年はもっともっとたくさん動こうと思う。
頑張ろうと決意することは、頑張ってることにはならない。
継続して行動することが一番大事。
私が憧れるのは、天武の才だけでなく、そこからの努力の軌跡だ。
普遍的なことしか言ってないけど、それでも、
「自分には自分の戦うフィールドがある」は、
今まで絶対に出てこない言葉だったので、純粋に嬉しく感じました。

明後日引越しです。
次の家は、今までと違う暮らしができたらいいな。

2012年11月12日月曜日

散らかったことばたち



最近はこんなピアスを作ったりしてました。
そのうち販売します。

突然ですが、一ヵ月後に引っ越しすることになりました。
ちりめんを連れて新しい家に移ります。

そのため、大掃除を進めています。
今まで持っていた物を捨てて、捨てて、捨てまくっています。
今のところ45リットルのゴミ袋を10袋ほど捨てました。
そんなに物を持っていない方だと思っていたけれど、
捨てても捨てても物が減りません。本も随分処分しました。
本は今のところ60冊ブックオフで売り、あと100冊持っていく予定です。
また、twitterとFacebookで貰い手を探して、貰ってもらってます。助かります。

どんどん物を捨てていくうちに、
物を大事にするということは必ずしも所有することではない、と実感しています。
本当に必要な物は極々少ない。

過去のしがらみを捨てるのが苦手で、特に罪悪感を感じるものは捨てにくい。
捨てるのは、嫌な記憶から逃げるように感じていた。
でも、未来を向く為に捨てました。

最近モチベーションが下がっていましたが、
この方のブログを読んでモチベーションあがりました。
→なんにもないブログ
ここまでなんにもない生活は難しいけど、
この空間は憧れる。
がんばります。

そんななんてことない日常の話でした。

小欲を大欲に昇華すべし。
っていい言葉だ。
塵を積もらせるより、大事なものひとつだけでいい。

自分の中のぐだぐだを全部物語に昇華して、風船みたいに飛ばしたい。
自分を取り巻く環境を一度崩して再構築するのだ。



2012年11月8日木曜日

イソフラボンレコ発ライブのお知らせ


大学時代の先輩のユニット、イソフラボンが
初めてのファーストフルアルバムを制作中です。
12月14日の金曜日京都のネガポジというライブハウスでレコ発ライブが行われます。
先駆けてそのフライヤーを制作させていただきました。

イソフラボンの音楽はこちら



歌コナミさんと、ギターめぐさんのおふたりユニット。
7年前、大学1回生の4月、初めて演奏を聴いた時から、ずっと好きなふたりです。
同じサークルで、何度も何度もふたりの歌を聴いてきました。
このふたりの制作物に関わりたくて、「なにかあったら声をかけてほしい〜」と
営業をかけてきました^^^

今回、ふたりの今までを全部詰め込んだアルバム制作に携わらせてもらえて、
本当に嬉しくて、気合いが入ってます。まだまだ鋭意制作中です。がんばります。
レコ発ライブが終わったら、詳しく書きます。

→イソフラボン myspaceはこちら

イソフラボン 1stフルアルバムレコ発ライブ
12/14(Fri)
18:00 OPEN
19:00 START
at LIVEHOUSE ネガポジ
ライブへのお問い合わせはひとまず私のtwitter、もしくはメールにご連絡ください。
おふたりに伝えます。
twitter/ https://twitter.com/aoba_uematsu
メール/ fankcoffee@gmail.com

2012年10月19日金曜日

変わるものと変わらないもの



ハリネズミが中心に生活がまわっていますが、それとは別に、妙に鬱々としていました。しています(継続中)
いい面を言うと、自分のしたい仕事、働き方が、ようやく見えてきた気がする。

ただ、ピリピリ神経の張りつめる感じや、あまり良くない食生活や、睡眠不足が、
徐々に身体と気持ちに表れているように思います。
夜眠り、朝起きて、支度をして、歩いて駅まで。
階段を下り、1時間電車に乗る。
パソコンに向かい、カロリーの高いごはんを食べて、
またパソコンに向かい、1時間電車に乗って、帰宅する。
たったこれだけのことだけど、
夜眠るのが苦痛になって、
朝起きるのが苦痛になって、
ごはんがおいしくない。(でも異常に食べる)
そして余程好きな人以外誰にも会いたくない。

ハリネズミちりめんは、そんな日々の中に舞い込んできました。
生き物を飼い始めて、「生きる」ことと「生かす」ことに、敏感になっています。
今、飼い始めたのは、自分にとってとても良いことだったのかもしれない。
自己否定の感情にを持つ前に、ごはんの支度や掃除など、即物的に生きざるを得ない。
圧倒的な自己肯定。
自己肯定を他者に求めるのは良くないことだと、自分に対しては思っているけれど、
生き物を飼うことだけは、それが可能なのだと思いました。

また、これはあくまでペットだから通用する話であり、
自分の子どもに対しては言えることではないと思う。
確かに子どもも、生活のノルマがかかる面では同じだけど、
子どもに対して自己肯定を求めてはいけない。
人間の子育てでは、自己肯定は与えるものだ、と思います。

もちろん、生き物を飼うことによって、どん底の気分が浮き上がるわけではないですが、
原因をきちんと言語化できているので、次に進む対策を考え、行動に移していきたいです。

余談ですが、
自己肯定を他者に求めるのは良くないことだと、自分に対しては思っているけれど、
好きな人に対しては、肯定を与えたくなる。
その矛盾を「それが愛ではないか」と友人に言われて、なんだか納得できました。



2012年10月9日火曜日

ハリネズミブログを作りました。



当分の間、ハリネズミのことばかり書いてしまいそうなので、専用ブログを作りました。
よかったら見てください〜〜

ちりめん日記

2012年10月8日月曜日

同居人









待望の同居人ができました。
名前はちりめんです。
土曜日お迎えに行き、今日で三日目。
まだフシュフシュ怒りの声を発してますが、
可愛くて、愛おしくて、たまらないです。

これから仲良くなれたらいいなあ。

2012年10月1日月曜日

今週末から新しい家族を迎え入れる決断をしました。
一人暮らしも卒業です。
緊張と楽しみと大掃除の一週間です。

2012年9月21日金曜日

空飛ぶペンギン

最近見た映画で一番良かったのは「皇帝ペンギン」です。

皇帝ペンギン
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皇帝ペンギンの生態を、物語のようなナレーションが入りつつ追っていく映画ですが、

見終わって最初に思ったのは、ペンギンって何て不可解な生き物なんだ、ということ。
寒くて死んでしまったり、
数ヶ月も何も食べれなかったり、
卵は数十秒冷気にあたるともうダメになってしまったり、
何で南極にいるのか分かりません。
寒い方が身体に合ってる生き物なのかと思ってたら、寒いと死んじゃうのか…。
なんで他の土地に移らないんだろう。

と、考えて、ここまで世界中を移動する生物は人間だけじゃないだろうか、気がつきました。
動物も移動はする。
マッコウクジラは餌を求めて4000km移動する。
ツバメも海を渡る。
でもそれはあくまで、数カ所のみを行き来する移動であり、「引っ越し」とは違う。

人間の歴史には移動が大きく関わっている。
ゲルマン民族大移動よりずっと昔、人類誕生から人間は移動を繰り返してきて、
氷河期や、食の変化から、生きやすい場所の選択をしてきた。
現代は富裕層にいる人々は個々の選択で世界中を移動している。
余談ですが、経営学者のRobert Earl Kelley氏は1985年に『The Gold-Collar Worker』という本で、
ホワイトカラーが分裂し、世界中を駆け巡る「ゴールドカラー層」が形成されると予想したとのこと。

(先進国の)人間にとって、自分に合わせて土地を選ぶことは当たり前になっていますが、
動物には、当たり前ではない。
その土地に生まれたからには、そこで生きなくはならない。
逆に考えると、移動こそが発展や成長、進化に繋がるといえる。

個人の成長と進化は別物ですが、私自身、引っ越しを多く経験してる方なので、
その経験は良い経験だったと思います。
私が一番長く住んでる場所は京都と熊本で、
熊本は高校で一度市内に引っ越したことを考えると、京都が一番長い場所です。
でも将来的には、どこかまた別の場所に移動する気がします。
割と近い将来。
それをめざして頑張らなくちゃ。
将来が「白の闇」です。(この本はおもしろそうなので読みたいです)

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皇帝ペンギンは、ペンギンのちびっこが本当に本当に可愛くて、
1人でキャーキャー言いながら見ました。
DVDたぶん買います。おすすめです。

2012年9月19日水曜日

続けるということ



エンポリオ・アルマーニの2012a/wの広告が好きだ。夜の新宿と美しいモデルたち。
それと共通する魅力を持つのが、GINZA2012/2月号「RUNWAY in the APARTMENT 歩く女」
今月のGINZAの「朝のコート」特集もいい。

言葉と言葉をつなぎあわせた時に、摩擦が起こり、物語が生まれる。
その摩擦にいつまでも敏感でいたい。

ハイソサエティなものと、大衆的なものの組み合せにより生まれる物語は、色っぽい。
着飾り加工した、無機質のように美しい人を、大衆的な風景の中に組み込むと、見栄えだけでない美しさが滲み出る。
色気は、ハイソサエティの世界だけでは生まれない。もっと荒廃的なものだと思う。
モデルやカメラマン、ディレクター、そして見る側の個人的な記憶やそれにまつわる感情が
背景によって呼び起こされ、そして写真に焼き付く。

荒廃が何故色気を含んでいるかというと、歴史を持っているからだろう。
生まれたばかりから荒んでいることはきっとない。性善説のようだけど。
いいか悪いかというよりは、生まれたばかりは何も知らない。無知から色気は生じない。
経験を経て、知識を得て、感情が生まれ、蓄積された感情が身体からにじみ出る。
それが色気となるか、何になるかは、蓄積された感情の種類に依るのだろう。

年を重ねるのは素晴らしいことだ。
若い頃、喉から手が出るほど望んでいたオリジナリティを身体で表現できる。
若いうちに他人と自分に差がないように思えても、それは仕方のないことだ。
ただ、若いうちに経験を重ねることを疎かにしてしまうと、年を重ねてからツケがまわってくる。
20代は何事もがむしゃらに、丁寧に、やり遂げる。

と自分に言い聞かせています。


先週末DESIGNEASTに行ってきました。
名村造船所跡地、古い建物でとてもかっこよかった。

特に楽しみにしていたのは、建築家 藤村龍至さんと社会学者 鈴木謙介さん(チャーリー)の対談。
「日本列島の状況 建築・建築家・都市をめぐる批評と予言」
列島改造論については、「日本2.0」でぱらぱらと読んだのですが、
私には難しかったので、今回話を聞けてよかったです。

今回の対談の中で、
「建築は庭づくりのようなもので、剪定し続けていかなくてはならない。
そのためには、様々な人とコミュニケーションを取り続けていかなくてはならない」
という話があって、ちょっと感動しました。

先々週くらいに行った、「ほしいも学校」のトークは、地方住民の方と関わりながら、
ほしいも学校を作られた佐藤卓さんや、
オーナー制の茶畑プロジェクト等を進めている山中史郎さんのお話でしたが、
お二人とも、地方でプロジェクトを始める場合の、じっくり取り組むことの大切さを言及されていました。

色気の話もそうですが、時間をかけて築くことに対して、魅力を感じる。
人間関係も、作品も、社会も。

でも最近は、インターネットにどっぷり浸かっているからか、長年ひとつのことに時間をかけて、
丁寧に考え、コミュニケーションを取り続けることに縁遠くなっている。
インターネットは花火のように、目立つ情報が表れては消え、表れては消えていく。
常に新しいことに挑戦し続けないといけない気がするし、継続には飽きられないことが命題となる。

良い暮らしを作ることは、それと相反していて、日々同じことを繰り返し、熟成させる。
最近、コミュニケーションを継続して取り続けることの大切さを、聞く機会が多いのも、
築くことの大切さを見直す機会が来ているように思います。
私は、一体どんな歴史の一部に関わることができるのだろうか。
コミュニケーションの中で何を与え続けられるのだろうか。


2012年9月11日火曜日

黄色い夜 つづき


昨日の絵はこうなりました。



次はこんなのを描き始めました。

がむしゃらに数を描こうとしてるけど、
いいものが描けないと凹むばかり。
上の絵も本当は全然気に入ってない。

それでも数を重ねていたら、何かが見つかるかもしれない。
知らずと上達するかもしれない。
そう信じることでしか、進めそうにありません。

なんでこんなに必死なんだとか、苦しいんだとか、気分が晴れないんだとか、
いがいがする気持ちに苛まれてるけど、手の動きは止めないようにしよう。
最近だめだなあ。
自分の作ったものが好きになれない時期は辛い。
がんばらなきゃー

2012年9月10日月曜日

黄色い夜

ずっとキャンバスに描いてたけど、
久々に紙に描くのを復活しようと思い、
昨日の夜は練習してました。


無印の80円の色ペン使って描いてます。



そしてサクラクレパス。
クレパスは想像以上に楽しかった。
混色の具合が絵具の様で好み。



もうちょっとのところでタイムオーバー。
続きは今夜。
しばらくは練習期間です。
長らく青と黄色の組み合せを描きたかったので満足感があります。
きっとロスコとムンクの影響。

オイルパステルを取り入れようと思います。
今後の方向性がだいぶ固まったので、挑戦もしやすい。
がんばるぞー

今週末はDESIGNEAST京都アートフリーマーケットに行きます。

2012年9月5日水曜日

human or animals?



高校の英語の授業で、"human or animals?"というテーマでディベートをしました。

"人間の方が動物より優れている"と主張するグループと、
"動物の方が人間より優れている"と主張するグループに別れ、
英語で議論し、第三者にどちらの論理の方が優れているかを判定してもらう、という内容です。

私は、"人間の方が動物より優れている"と主張するグループに振り分けられたため、
その主張をすることになりました。
そこで私が主張したことは、
「人間にはあのアート作品のように自己表現活動を行う。(偶然絵が飾られてる部屋でした)
動物と違い、生命の維持に直接関わりのない行動をとる。
その行為は、社会を形成し、文化を生み出す。
そのような活動は動物には出来ない。だから人間の方が優れている。」
というものでした。
この時のスピーチは後にALTの先生からこっそり褒めてもらえたこともあり、今でもよく覚えています。

その主張から考えると、当時の私が漠然と捉えていたアートとは、「形として残るもの」でした。
しかし、改めて考えると、その感覚は今でも共通している部分があるのではないか、と思います。
身体表現についてはとても無知なのですが、すごく動物的な表現活動といえるのではないかと最近思ったのです。
ダンスや演劇や、パフォーマンス等は、アートというより動物の求愛行動等に由来しているもので、
私がアートと捉えている、形に残るものは、根本を辿ると表現より記録に由来しているのかもしれない。

スポーツも含め、ダンス等身体表現活動は、「生きる」ことに密接に感じる。
そしてアートは、「生きる」活動から一歩距離を空けている、
私はアートとそのように向き合っている、と感じました。

最近、動物的な生き方をするということに対して、
自分が如何に疎かったかを実感したので、そんなことを思い出し、考えてみました。

アートが記録である、はおかしいことではないかもしれない。
しかし、記録は、肉体がないと残せない。
動物的と人間的な生き方のバランスをもっと意識して生活しよう、と思います。

2012年9月4日火曜日

善良で怠惰な動物におなり 
四本の足を投げ出して
カプートの別荘へおいで

世界なんか
父さんなんか問題にするな
もしきみがそうしたいなら
(君のコンプレックスの対象である父より)


あの詩には愛がある
あの詩には愛しかない

(中略)

愛が孤独を救うことはないのだ
恋だけが
ひととき人の孤独を忘れさせる
ただ恋だけが 
一瞬
愛の無力を忘れさせる

吉野朔実さんの短編作品「カプートの別荘へおいで」より
前半は、アインシュタインが次男に宛てた手紙の一節らしい。
じわじわと身体に入ってくる言葉。

「頭がいい」と「惹き付けられる」はつながらない。
世界を知っている人が、他人を愛せるとは限らない。
知識がある人が、品があるとは限らない。

世界に対して馬鹿馬鹿しいと言いたくなる日だってある。

2012年8月27日月曜日

明日を考える日々


先が見えなくなっていたけれど、
ようやく決めることが出来た気がする。
定めることが出来た気がする。

具体的な期限と目標を設置して、
しばらくは寄り道しないようにしよう。
2年半、たくさん遠回りして、一番始めの場所に戻ってきた。
人生を変えるような素敵な遠回りだった。
でももう私は、他人の価値観に怯えて選択するような、
そんな弱い人間でありたくない。

2012年8月23日木曜日

生きてた


そういえば、先日人生初の胃カメラを体内にいれました。
胃炎と軽い潰瘍だったのですが、それはいいとしても、
手術も受けたことないので自分の体内を初めて見た。
身体の中は想像よりずっときれいなピンク色で、
胃が赤とピンクのきれいな縞模様になってた。(縞模様は胃炎の症状で痛みが酷いタイプらしい)

胃はカメラが入っている最中も伸縮を繰り返しているのですが、
意図的にコントロールしていないのに身体の一部が動いてるのを目の当たりにして、
自分の意志と関係ないところで、自分が生きてるように思えて、なんだか変な気分でした。
例えば、頭で死にたいと考えている間も、
身体の中では生きるための活動が常に行われているということ。
逆に頭は生きたくても、身体の中に病気を抱えていることもある。
胃カメラ飲んで、お薬頂いてからは、安心したのか胃も痛みません。
思考だけで生きている訳ではない、ということを、
見えないところで活動している人や場所がある、ということを、
ちょっぴり思い出しました。

私の地元には今でも活動している火山、大好きな阿蘇山があるのですが、
火口の中の液体の量は、日によって増減するし、
ガスの量が多い日は火口のそばに近づけないこともある。
火口の中の液体の正体は、マグマの成分が溶けた水らしい。
鉄が緑色、銅が青色になるとのことなので、日によって色が違うように見えるのは、
鉄と銅の比率が変化しているからなのかな。
火口の中の水色、体内のピンク色、
それらは、絵でも写真でも表すのは難しい程鮮やかで、そこに命を感じるのだ。
阿蘇山の火口を見る度に、生命力を感じる。
自分も、地球上にいる生き物すべても、地球も、生きてると感じる。

圧倒的な景色を時々見ないと、自分を俯瞰できなくなってしまう気がします。
頭の中でも、広角レンズとマクロレンズを使い分けれるようになりたい。
休みぼけがようやく治ってきました。
目標を常に設定することを心がけながら、残りの2012年も過ごして行こうと思います。

2012年8月21日火曜日

霧の中にいる



お盆は1年ぶりに実家に帰りました。
犬が随分老けてた。

今後、どうやって生きていきたいのか。
どのような働き方をしたいのか。
以前より曖昧で、靄がかかっている。
海外に行きたい、や、動物園の職員になりたい、
動物カメラマンになって世界中を回りたい、
そんなことばかり考えてしまっています。

休みぼけの気もするので、気合いいれて仕事しよう。
こういう時ほど、日々の生活をきちんとすることが大事だと思う。思いたい。

7月頭に行った、森美術館のアラブ・エクスプレス展のことを今でもよく考えています。
その後に「キリスト教のふしぎ」を読んだのもタイミングが良かった気がする。
イスラム圏では、日本のようなものづくりの国と違い、思想の方が大事だとされているらしい。
それは偶像崇拝禁止に起因しているのではないか、と思いました。
アラブ・エクスプレス展では、ステレオタイプのアラブのイメージを覆すような作品や、
アラブの社会問題を表す作品群が多かったけれど、後々考えると宗教を感じなかった展示のように思う。
ものづくりが重視されていない環境において、アーティストってどんな立場なんだろう。
日本は、アーティストが生きていく為の環境が整っていないと思っていたけれど、
ものづくりの国ではあるので、制作に対しては許容されている雰囲気なのかもしれない。
この話は最近考えていることに繋がる気がするので、もっと考えてみます。

頭が回らないときは、思考のきっかけとなるよう、人と会い、本を読み、展示を見たい。
そして揺らがない軸を30歳までに築きたい。

2012年7月31日火曜日

上半期のベストショット



この花火の写真が今年上半期のベストショット。
iPhoneで撮ったものだけど。
琵琶湖でバーベキューして、花火を見てきました。

7月は楽しいことがあり過ぎて、自分が散らばっている。
どこかで私の一部が迷子になっている気がする。
目まぐるしいほど、それでも本当に楽しい月でした。

2012年7月19日木曜日

終わりなき日常


先日、実家の犬が急死してしまい、とても落ち込んでいました。
体調が悪いと聞いて、週末に里帰りしようと思っていたのに、それすら間に合わなかった。

前々回の記事で、「失ったものはもう一度築けるはずだ。再構築には学べる過去がある。」と書いたばかりなのに、どうしても再構築できないものがあると気付かされました。

その時期に、大事な人に言われた、「悔いが残らないように、たくさん思い出してあげて」という言葉が、すごく印象的で反芻しています。

誰かを亡くした時、その辛さをどう処理するか。
日常に溢れる辛さの処理方法は人それぞれ違うのだろうけど、
近しい存在を亡くした時は、思い出を共有できる人とたくさん話すことが、共通の行動であると思いました。
お葬式ってきっとその為の場なんだろう。
生きている人が気持ちを落ち着かせる為の場なんだろう。

最近見た「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画も、
家族を亡くした子どもや母親が、混乱をどう収めていくかがテーマの映画だったと思います。
主人公の少年は、もがきながらその方法を追究していたけど、
母親と笑いながら思い出話をすることができた瞬間が、一番大きな境目に見えました。

私がジャケットを描かせていただいているバンド、「ねじ梅タッシと思い出ナンセンス」の「火葬場で思い出したよ」という曲も、
大好きなハンバートハンバートの「大宴会」という曲も、
お葬式をモチーフにした曲ですが、悲しみと並行して笑顔や懐かしさがあるのは、
「死」よりも「生きる」ことを見つめている作品だからではないか、と思います。





生きていく限り、悲しみ続ける訳にはいかない。
悲しみを背負い続けて、生きていく訳にはいかない。
自分でどうにかして、悲しみを昇華させなくてはいけない。
逃げたり、泣いたり、お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、ヤケ食いしたり、性に溺れたり、運動したり、歌ったり、
あくまでそれらは過程であり、辿り着くべき姿がある。
自分の辿り着くべき姿を見つけておかないと、いざという時に過程の段階から抜け出せなくなるのだろうな、と思いました。

私は、宮台真司さんの「終わりなき日常を生きろ」という本のタイトルが
すごく好きで、辛いことがあるといつも思い出しています。
(本自体はまだ読めてないのでタイトルだけです、すいません)
終わりだと思っても、終わりではない。
漫画みたいにコマが変わると一年経っている訳ではない。
おなかがすくし、トイレに行くし、次の日がくる。
たったそれだけのことを、意識して自分に説かなくてはならない人が、
今の世の中には、私を含めてたくさんいるのでしょう。

バーチャル的な「終わる日常」が生まれる日が先にくるのか、
「終わりなき日常」であることを社会が認識する日が先にくるのか。
(したことないけどネットゲームとかは既に前者なのだろうか。)
何となく今の社会は、辛いに対する耐性が弱まっているように思うのです。
見ないフリをするか、終わらせるかの二択になっているように思うのです。

私は、見ないフリをするタイプだ。
だからこそ、「悔いが残らないように、たくさん思い出してあげて」という言葉が響いたのだと思います。
もっと地に足をつける人になりたい。そして今後の社会もそうであってほしい。

2012年7月5日木曜日







実家の犬が死んでしまった。
あんなにいいこだったのに。

2012年6月29日金曜日

ラブレター






火曜日、26日に25歳になりました。
友達からたくさんメールや電話をいただきました。
どうもありがとう。

20代後半は難しい。
自分にとって本当に大切なことは何なのかを追求していきたい。
その反面、何もかもに手を出してみたい。30代以降の人生のために。

一年前、24歳ははじまりの日から最高に素敵な日だった。
1日友達と一緒にいて、焼き肉をご馳走になった。
そのまま鴨川の川辺でお酒を飲んでいたら、
いつのまにか友達がたくさんやってきてくれて、
10人くらいで喋って、笑って、空を仰いだ。

振り返ると本当に素敵な年だった。
人に恵まれ、新しいことをたくさん知り、自分の夢が形を変えた。

いつも話してくれてありがとう。
ごはんに誘ってくれてありがとう。私の週末は大抵誰かと一緒にいる。
自分の好きな人に囲まれているなんて、本当に幸せだ。

大好きな人、ありがとう。
きみに会えて世界が変わった。これからが変わった。

大学入学当時の18歳、それから6年が経った。
何が変わって、何が残ったんだろうか。

時々、世界が終わってしまえばいいのにと思うことがある。
ニュースを見て暗雲たる気持ちになることもある。
私は早く死ぬだろうなと思うこともある。
死ぬときは自殺だろうなと思うこともある。
弱さに孤独、自意識過剰、視野の狭さに回転の遅さ、利己的さも傲慢さも
1人で立っている時には、全てが自分の中に鎮座していて、気付いているがなす術は無い。
誰かといると、時にはそれらが顕著に表れて苦しめる。
でも誰かといると、それらが良い方向に転換されることだってあるのだ。

可能性の話をしよう。
明日の話をしよう。
どんなことだって、いい方向に向かっているんだ。
失ったものはもう一度築けるはずだ。再構築には学べる過去がある。
きっとそうだ。
私はそう思いたい。
そう思って生きていきたい。

きみに会えて本当に良かったと伝えたい人や場所がたくさんいる。
そう思える人生を生み出してくれた両親に、まず1番の感謝を。
私の誕生日は、両親にとって、親になって○年目の記念日だ。
本当にありがとう。

自分の家族がほしいと思う気持ちが日々強くなってきている。
私はめんどうくさい人間だけど、遠回りしても躓いても、きみと手をつないでいたいのだ。
たくさん笑っていたいのだ。
大きな窓のある家に暮らしたいのだ。
黒猫とグレーの猫と二匹の大きい犬を飼いたいのだ。
祖母のようにたくさんの植物を育てたいのだ。
母の家のようにどの部屋にも本棚を置き、余った壁には作品を飾りたい。
ホットケーキを作ってもらった記憶、お尻を叩かれた記憶、
とんぼを捕まえた記憶、秘密基地を作った記憶、
愛された記憶、愛した記憶。
記憶を新しい未来として現実に生み出したいのだ。
そして自分の一番大切な人を救えたらきっと、それだけできっと。

2012年6月11日月曜日

誰かと生きる


5月から楽しいことがたくさんあったのですが、
書くのが追いついていなかったので箇条書きで書いていきます。

いろいろトーク(第一回目)に行きました。
vol.01 ANTEROOMについてのお話」
宇治の萬福寺に座禅の体験に行きました。
紙の毛を切りました。
個人でお受けしているお仕事の打ち合わせに行きました。
国立国際美術館で開催されている「国立国際美術館開館35周年記念展 コレクションの誘惑」に行きました。
grafで開催されていた「紙と束見本展に行きました。
京都水族館にひとりで行きました
京都えき美術館で開催されている「リスベート・ツヴェルガー絵本原画展」に行きました。
「CAVE」にて女の子のことを考える「女子ドク会(二回目)」に参加しました。
シマウマ柄のシャツを買いました。

などなど

久々に良い出会いがあって、
アートの話や本の話、音楽の話、たくさん話をしました。
どの話をしていても、「この作家の話はあの人としたな」とか、
「このことはあの人に借りた本に書いてあったな」とか、
何年も前の記憶からここ1年くらいの記憶までたくさん思い出しながら話をしました。
本を読んで得た知識など微々たるもので、記憶にもきちんと残っていない。
でも誰かを通して得た情報は、自分の中に根付いている。
たくさんの人と出会ったことで自分が築き上げられているとまた感じました。

「何をしたいか」を考えて仕事をすることも大切ですが、
私の場合は、「誰と」仕事をするかが大切だと思っています。
仕事に限らず生きること全てにおいて、「誰と」を重視していきたい。
そして、自分が求める「誰か」にとって、何かを与えられる人間でありたい。

最近、好きな人のことをよく考えていました。
好きな人と自分のこと。もしかしたら自分のことかもしれない。
好きな人のことを考えるのは、自分のことを考えることにもつながる。
自分のことを好きになると、好きな人のこともますます好きになる。
幸せにしたい、は、幸せになりたい、かもしれない。
嬉しいとか、楽しいとか、ここが好きとか、いいところをたくさん見つけ合って、
相手も自分も幸せになれば嬉しいと思います。
相手の嬉しいが、自分の嬉しいになるのは、想像以上に素敵なことだと改めて実感しました。
悪いこともいいことも連鎖する。どちらを選択するかは、何を求めているかによる。

気持ちが整理されて、今とてもいい感じで暮らしています。
良いことの連鎖を紡ぎ出せる人であれたらいいなと思います。

2012年6月4日月曜日





いつでも
どこでも

昨日も
今日も
明日も


2012年5月25日金曜日

次の10年間


もうじき25歳になってしまうので、10年日記をつけ始めました。
25から35歳ってとても大きな変化があると思うのだ。

5歳から15歳の変化は、身体的に大きく大きくなりました。
15歳から25歳は前半は青春の渦に飲み込まれてへろへろで、
後半、徐々に楽しくなっていきました。

25歳から35歳は35歳以降を楽しくするための、熟成期。
成長しつつ、熟しつつ。
若さと大人の楽しさをどちらも謳歌できる、すごくおもしろい時期だと思います。
仕事はもちろん、もしかしたら結婚とか出産を経験するかもしれない。
それもすごく楽しみだなと思う。

おもしろい30代になりたい。
おもしろい人と関わりたい。
良いもの、良い環境を作りたい。
良いことに敏感でありたい。
神経を研ぎすます10年間でありたいと思います。

10年単位で考えると、人生は短い。

2012年5月22日火曜日

地球を見るこどもたち


最近悶々としてます。
「彼女が消えた浜辺」という映画が見たい。
今は「当事者の時代」という本を読んでます。

2012年5月21日月曜日

日曜日



昨日はいちにちベッドの中で、
不幸を探して眠っていました。

2012年5月8日火曜日

supermoon



ゴールデンウィークは里帰りをしました。
そのはなしはまた後日。


今週も来週も忙しい日が続きそうです。
午前2時半の今も、職場でうとうとしながら書いています。


僕らは、たぶん、
どんなに無様でも間違っていても、
その過ちを正すために
生き抜かないといけない。
生き抜いて、自分の行なった結末を
受け入れなくてはいけない。 



って言葉に慰められている。
そんな夜です。


一昨日の晩、床から大きな月が見えました。
最近は寝る直前まで携帯を触ってしまっているけれど、
子どもの頃は、灯りを消してから寝るまでが一番創造的な時間だった。
暗がりの中、手を見ながら、この手を見ている「自分」が「自分」であることを
自覚して、いつか自分は死ぬのだと気づいた。
天井の木目を顔に見立てて遊んでいた。
左手と右手にそれぞれ別の価値を見出した。
月を見ながらそんな夜を思い出しました。


懐かしい夜から十年以上経て、
今夜は「ふがいないや いや」って心の中で叫んでいます。


そろそろソファで寝ることにします。
おやすみなさい。

2012年4月23日月曜日

4月のこと


タカ・イシイギャラリーの前で友人に撮ってもらった



先週末は仕事しか予定がないなあ、と思っていたのですが、
いざ週末を迎えると楽しいことが山盛りで、すごく楽しい2日間でした。

土曜日は、とても嬉しい出会いがあって、たくさんお話ができました。
本当に楽しかったし、嬉しかったです。色々吸収できた。

京都藤井大丸で現在開催中の「Grassland」のレセプションにも参加しました。
会いたい人にも会えたし、素敵な作品も見れました。
版画作品、ほしいのがあったけど大きすぎて買えなかった…。
好きな作品を買える日がとても楽しみです。

4月は仕事が大詰めでヒーヒー言ってた印象ですが、
よく考えると、自分にとって大事なことをたくさん話せた月でした。

先々週は、瀬戸内に一緒に行ったと1年ぶりくらいに会えたのも嬉しかった。
年に数回会って、一緒に旅行に行ったり、喋ったりするのですが、
会う度に仕事の話や、好きなことの話や刺激をもらえます。
別の職場、業界なのに、働いて2年経ったお互いの気づきには共通点があって、おもしろかった。
新しいことにどんどん挑戦していて、聞いてるだけで励まされました。
今度一緒に韓国に行くことになりそう。トルコも一緒に行きたいです。

また、京都のアート界隈の人や、勉強家の方が集まる場所で開催された、
女子ドク会という場に参加できたのもおもしろかった。
「女子ってなに」ということをそれぞれ考えて話す会でしたが、
知らない人たち10数人の前で、自分の意見を言うことは今までは避けがちでしたが、楽しめました。

草間彌生展も最終日の午前中に駆け込めたし、美味しいピザも食べました。
大学同期と久々にごはんに行き、なんでもないことで笑えたのも嬉しい。

いそがしいいそがしい、ばっかり言っていたけれど、充分楽しめたし、
嬉しいことがたくさんあった月でした。
どこを見るかで過去は変わってくるんだなあ。
もう少し落ち着いたら、また絵を描き始めたいです。
今週末はアート京都に行きます。

2012年4月19日木曜日

子どもの気持ち





子どもの頃に、
「子どもは大人が思っている以上に色々考えているということを大人になっても忘れないようにしよう」
と思ったことをよく覚えている。



今日、この人の自閉症スペクトラム障害の息子を撮影した写真を見て、とても素敵だなあと思った。
この人の他の作品も見たけど、息子を撮った写真が一番すきだった。


写真に対しての感想は、twitterやfacebookに書いたので割愛するけど、
私はこの写真を見て、父と息子それぞれの、声にならない悲鳴が聞こえたように思えた。
でもそれは、自閉症という病気や、親子という関係性に対するバイアスがかかっているからで、
そう見出すことで、切ない気持ちを味わいたいのではないか、と思った。
「感動したい」という欲求を否定することはないけど、なんだか自分の気持ちに対して違和感があって、
もしこの写真が、幸せいっぱいの気持ちに満ちている写真だったら、私はがっかりするのだろうか、と思った。


子どもを扱ったテーマに対して、子どもの「嘘のないまっすぐな気持ち」を前提に、
感動したり、苦しんだり、笑ったりしていないかと、常に自問自答している。


私は嘘をつく子どもだったから。
小学校2年生のとき「モチモチの木」という絵本の読書感想文で賞をもらい、
こう書いたら褒められるんだって学んだ。
その後は作文が得意だった。クラスの代表になったことも何度かある。
私の子ども時代なんて、全然かわいくなかった。


最近よく子どもがほしいと思う。
以前は全然ほしくないと思っていたけど、最近よく思う。


子どもの頃の私は、子どもがいかに独立した人間であるか(もちろん経済的ではなく、気持ちの問題)、を訴えていたけれど、
子どもであるというだけで、信じてくれる愛してくれる存在なんて、
家族以外にいないのだということを、大人になって噛み締めている。
(経済的に独立していないのに、独立した存在と認めろだなんて、
それ自体が子どもらしさと言えるだろうけど、それはちょっと別の話)
自分が母親になったら、「子ども」を全て受け入れる母親になるのだろうか、
「その人」を全て受け入れようとする母親になるのだろうか。
今はまだ、どちらにもなりたいのかもしれない。

2012年4月13日金曜日

ため息の雲







ため息をすると魂が抜ける、という話を聞いて、ため息の多い私はいつか埋もれてしまうのではないかと思いました。
oil on camvas


習作の小作品なので、こちらに載せました。
クリックで少し大きくなります

2012年4月6日金曜日

龍の鱗

中学生くらいで読んだ小説で、龍の鱗の話があったな。
短編集なんだけど、どれも龍の鱗がモチーフになっている。
どの話の中でも、龍の鱗は大事なもので、みんなが欲しがってやまない。
神秘の力を持っている。

その中の最後の話が特によく覚えてる。

絵描きの話。
それなりに有名な作家が、壁画のコンペか何かに参加することになって、
優勝したものがテーマパークの外装に使われることになった。
決められたテーマは龍の絵。
でもここの数年、その絵描きはあまり良い絵が描けてなくて、
プライドだけはあるので、ライバルの画家を見下し、その反面嫉妬に狂ってた。
もの静かで謙虚なライバルには、病弱の息子がいるらしかったが、そんなことはどうでもいい、
負ける訳にはいかない主人公は、弟子達が感嘆の声を挙げるほどの、数年来の傑作を完成させる。
安堵した彼は、ライバル画家の作品を偵察に行った。
そこで見たものは、自分の力なんて到底及ばない、これこそが傑作といえるものだった。
主人公の絵が嵐のような絵とするならば、ライバルの作品は、静かな海のようだった。
それでいて、沸き上がるような生命力を感じる作品だった。
かなわないと一瞬で悟った主人公は、ふらふらと公園に逃げ込む。
奇しくもそこでライバルと、その息子の会話に遭遇する。
息子は首から袋をぶらさげており、それは父からもらったお守りらしい。
影からしばらく聞いていると、そのお守りはどうやら「龍の鱗」らしい。
何やら不思議な力を持つそのお守りは、息子を守っているとのことだ。
2人が会話を終え別れるのを見届けると、主人公は息子に声をかけ、力づくで鱗を奪った。
雨が降り出した公園では、息子が1人倒れていた。
急ぎアトリエに戻った主人公は、早速鱗を取り出し、ほのかに温かく感じるその鱗を絵具で塗りつぶす。
自分の絵に足りないものが分かったのだ。
そしてその鱗を自分が描いた龍の目に装着した。
その途端、龍は動き始め、火を噴いた。炎が主人公を包むのは一瞬だった。
龍はそのまま、空に飛び立ち消えてしまった。
コンペ後、テーマパークの外装には、ライバルが描いた作品が使われる。
その静かな絵は、とても悲しい絵に見えた。
息子がどうやら死んでしまったらしい。

こんな話だった気がする。
ところどころ違うかもしれないけれど。
最近、この話をよく思い出す。
私が龍の鱗を手にしたら。
炎に包まれながらも作家は、究極の絵が描けた恍惚に酔いしれる反面、敗北感に包まれていただろう。
その死は成すべくしてなされたと思っていたに違いない。

3時半をまわろうとしている。

きみの承認欲求なんて、
わたしが全部埋めてあげるのに。

2012年4月4日水曜日

明日になれば


ほぼ日の「今日のダーリン」のように、毎日連続で書こうと思っているのですが、
なかなかかなわない日が続いています。
最近は、これまでの中で一番仕事が忙しく、職場のソファで縮こまって仮眠を取るが多いです。
腰と内股(?)に激痛が走るので、今晩は家のベッドで寝られるよう、もう一踏ん張り頑張ります。

あまり情報を追ったり、何かを考えたりすることもできない日が続いています。
最近はBRUTUSの糸井重里さんの特集を空き時間に少しずつ読むのにはまっていました。
糸井さんの人に囲まれる雰囲気が好きです。みんなが何をほしがっているのかが分かる人なんだろうな。
仲良くなってみたいなあ。

原研哉さんの「白」を読みました。その中で、一番最後に書いてあったお話。
銀閣(慈照寺)は、庭園が素敵なお寺で、
足利義政はほんとに趣味のいい人だったんだろうなと思うのですが、
その慈照寺のお掃除や庭の手入れをする職人は、長年働いて、定年を迎えた時だけ、
銀閣の2階、「潮音閣」に登ることを許されるそうです。

この話がとても好きで、「潮音閣」に入った職人は、今まで何人くらいいるんだろうとか
何時頃に入るんだろう、とか、たった1人で入るんだろうか、とか、
こっそり形見を残した人はいないんだろうか、とか、想像が膨らみました。
たった1日を、どれほど楽しみにしているんだろう。
ウン十年、自分が手入れをした庭は、そこからどのように見えるんだろう。

インターネットはもちろん、仕事でもなんでも、めまぐるしい日々です。
いつの間にか春になっていました。
きっと、すぐに夏です。去年の夏は、鴨川でみたらし団子を食べたことをよく覚えています。
移り変わる景色の中で、継続する努力や、保ち続けることに、美しさを感じます。
小さなことでも、決めたことを継続していきたい。それはきっと、大きなものとなって還ってくると思います。
だからまずは今年から、ブログを毎日更新!と思っていたのですがなかなか難しいです…
5月後半から…がんばります……



続くといえば、大学の後輩が卒業しました。
その子たちの卒業は、この春一度だけですが、少し寒い春のこの匂いは毎年変わらない。
卒業しないでと大泣きした記憶も、随分前のことになりました。当時の友人や先輩は、今でも変わらず友人です。
私が追いコンで泣いた、ねじ梅タッシと思い出ナンセンスの演奏で、今年の卒業生も泣いていました。
卒業して、俯瞰してそれを見れる立場になったことを、嬉しいなあと思いました。

春の高揚も、夏の切なさも、秋の優しさも、冬のため息も、
表面的なものは違えど、根っこはきっと変わらないのだ。

2012年3月26日月曜日

色眼鏡をかける



風邪を引きました。4日目。
熱は下がりましたが頭がぼうっとしています。
仕事が忙しいので、気合いを入れなくては。


土日はほとんどベッドの上にいて、寝るか本を読んでいました。
(土曜夜はこっそり中華を食べに行きました。女子5人できゃいきゃいしました。
魏飯夷堂」、とてもおいしかったです。コース2500円でおなかぱんぱんになりました。
コースの内容は、前菜盛り合わせ(くらげやら芽キャベツやら)、小龍包、エビチリ、唐揚げ、青椒肉絲、チャーハン、杏仁豆腐。どれも大量でした。


先週の土曜日は、デザイナーの友人2人と、デザインの話をする会をしました。
(昨年9月にオープンしたベトナム料理のカフェバー、タムタムボンでごはんを食べました。
おいしくてお店も可愛かったです。牛肉とセロリの炒め物が特に好きでした。
2軒目はおしゃれバーのOILに。ここは3度目くらい。)


イラストレーターの操作の話(段組み設定でガイドをひく方法やブレンドのつかい方)や、
印刷の話、カメラの話、これからの話、いろいろ話せてとても面白かったです。
デザイナーの友人もっと増やしていきたいな。


印刷の話題では、
基本的にカラーの印刷物は、全て4色で構成され、4色の版を重ねて刷られているのですが
ただ重ねるだけだとモアレが起きる(視覚的に発生する縞模様、モヤっとする感じ)ので、
版が少しずつずらされている、という話がありました。
イメージしにくいと思うのですが、今、目の前の印刷物で、「紺色のべた塗り」と思うものも、
高解像度でスキャンしたら、青、赤、黄、黒のつぶつぶによって構成されていることが分かります。
肉眼では見えないつぶつぶがいっぱい重なって、
今見えている印刷物(紙だけではなくなんでも)は構成されているのです。


印刷の話がしたいのではなく、
今、自分が見ている世界が正しい世界であるという確証はない、ということを
子どもの頃からよく考えていたなあと思い出しました。


例えば、私が緑だと言っている色は、他人には、ピンクに見えるかもしれない。
でもその色を「みどり」という名前で呼んでいることは同じなので、
「みどり」といえば伝わるのかもしれない。
子どもの頃、そんな風によく考えていました。


最近読んだ本の中に、動物により時間の捉え方は異なるという話があり、
とてもおもしろかった印象があります。
人間にとって「瞬間」の時間の最小単位は、18分の1秒らしいです。
これは、映画のコマが切り替わるまでの上限値らしく、
18分の1秒以上時間がかかると、映画は紙芝居の様に一枚一枚静止画であることが認識できるらしい。
(つまりコマが切り替わり続けるので目がチカチカする)。
18分の1秒以下だと、連続しているように、動画として見えるらしいです。
おもしろかったのは、とある魚は、18分の1秒よりずっと短い時間まで認識でき、
カタツムリは3分の1秒までしか認識できないとのこと。
人間の映画を、その魚が見たら目がちかちかすると思うのだろうし(思わないだろうけど)、
カタツムリは3分の1秒までコマの切り替えを遅くしても、一続きの映画として見ていられるとのこと。
猫や犬はテレビを見てる時、どんな風に見えているんだろうか。


自分の世界は自分しか見られない、ということに、ちょっぴり絶望したけれど、
他人の世界を想像してみるのはおもしろいし、
だからこそ、自信を持って描けるものがあるのかもしれない。
自分が見えていることを当たり前だと思ってはいけないのだ。
そして、自分を完全に理解してもらえることもないのだ。


実体でさえ、主体が変わることによって見え方が変わるのならば、言葉なんて尚更あやふやです。
昔友人と喋っていた時に、「自信がある」という言葉を、
友人はプラスの言葉として捉え、私はマイナスの言葉として捉えていたので、
会話が噛み合わなかったことがありました。
ちなみに今ではプラスの言葉として捉えています。もう少し、今よりひねくれていた頃の話。


他人の世界を想像して、社会学者宮台さんの言葉を借りるなら「感染」して、
自分の世界を拡げていきたいな、と思いました。
毎日世界を変えられるなら、一生退屈はしないかも。