2012年8月27日月曜日

明日を考える日々


先が見えなくなっていたけれど、
ようやく決めることが出来た気がする。
定めることが出来た気がする。

具体的な期限と目標を設置して、
しばらくは寄り道しないようにしよう。
2年半、たくさん遠回りして、一番始めの場所に戻ってきた。
人生を変えるような素敵な遠回りだった。
でももう私は、他人の価値観に怯えて選択するような、
そんな弱い人間でありたくない。

2012年8月23日木曜日

生きてた


そういえば、先日人生初の胃カメラを体内にいれました。
胃炎と軽い潰瘍だったのですが、それはいいとしても、
手術も受けたことないので自分の体内を初めて見た。
身体の中は想像よりずっときれいなピンク色で、
胃が赤とピンクのきれいな縞模様になってた。(縞模様は胃炎の症状で痛みが酷いタイプらしい)

胃はカメラが入っている最中も伸縮を繰り返しているのですが、
意図的にコントロールしていないのに身体の一部が動いてるのを目の当たりにして、
自分の意志と関係ないところで、自分が生きてるように思えて、なんだか変な気分でした。
例えば、頭で死にたいと考えている間も、
身体の中では生きるための活動が常に行われているということ。
逆に頭は生きたくても、身体の中に病気を抱えていることもある。
胃カメラ飲んで、お薬頂いてからは、安心したのか胃も痛みません。
思考だけで生きている訳ではない、ということを、
見えないところで活動している人や場所がある、ということを、
ちょっぴり思い出しました。

私の地元には今でも活動している火山、大好きな阿蘇山があるのですが、
火口の中の液体の量は、日によって増減するし、
ガスの量が多い日は火口のそばに近づけないこともある。
火口の中の液体の正体は、マグマの成分が溶けた水らしい。
鉄が緑色、銅が青色になるとのことなので、日によって色が違うように見えるのは、
鉄と銅の比率が変化しているからなのかな。
火口の中の水色、体内のピンク色、
それらは、絵でも写真でも表すのは難しい程鮮やかで、そこに命を感じるのだ。
阿蘇山の火口を見る度に、生命力を感じる。
自分も、地球上にいる生き物すべても、地球も、生きてると感じる。

圧倒的な景色を時々見ないと、自分を俯瞰できなくなってしまう気がします。
頭の中でも、広角レンズとマクロレンズを使い分けれるようになりたい。
休みぼけがようやく治ってきました。
目標を常に設定することを心がけながら、残りの2012年も過ごして行こうと思います。

2012年8月21日火曜日

霧の中にいる



お盆は1年ぶりに実家に帰りました。
犬が随分老けてた。

今後、どうやって生きていきたいのか。
どのような働き方をしたいのか。
以前より曖昧で、靄がかかっている。
海外に行きたい、や、動物園の職員になりたい、
動物カメラマンになって世界中を回りたい、
そんなことばかり考えてしまっています。

休みぼけの気もするので、気合いいれて仕事しよう。
こういう時ほど、日々の生活をきちんとすることが大事だと思う。思いたい。

7月頭に行った、森美術館のアラブ・エクスプレス展のことを今でもよく考えています。
その後に「キリスト教のふしぎ」を読んだのもタイミングが良かった気がする。
イスラム圏では、日本のようなものづくりの国と違い、思想の方が大事だとされているらしい。
それは偶像崇拝禁止に起因しているのではないか、と思いました。
アラブ・エクスプレス展では、ステレオタイプのアラブのイメージを覆すような作品や、
アラブの社会問題を表す作品群が多かったけれど、後々考えると宗教を感じなかった展示のように思う。
ものづくりが重視されていない環境において、アーティストってどんな立場なんだろう。
日本は、アーティストが生きていく為の環境が整っていないと思っていたけれど、
ものづくりの国ではあるので、制作に対しては許容されている雰囲気なのかもしれない。
この話は最近考えていることに繋がる気がするので、もっと考えてみます。

頭が回らないときは、思考のきっかけとなるよう、人と会い、本を読み、展示を見たい。
そして揺らがない軸を30歳までに築きたい。