2011年11月29日火曜日

寒い日に


「寒い・冷たい」と孤独は似ている。

持論ですが、孤独感が人を動かすと思う。
怒りという人もいるけれど、私は孤独感だと思う。
老若男女問わず、孤独はずっとつきまとう。

私は自分のであれ他人のであれ孤独に過剰に敏感で、その深さを探ろうとしてしまう。
本当に大切な人って時々いて、その人を孤独感からどれほど解放させられるか考えること、
それを行動で示し続けることが、私にとって愛するということだった。
大切な人の孤独を拭いたいと心底思うし、
おそらく忍耐が必要なその作業をずっと続けていきたい。
それなりに覚悟が必要だろうし、泣いたり怒ったりするだろうけど、それでも続けていきたい。

本当は、孤独から一番解放されたがっているのはきっと自分で、だから絵を描き続けているのだろう。
絵を見てもらって孤独感をまぎらわすのではなく、
現実の世界とは別の、自分の世界を新たに生み出すことで、孤独から逃げているのだと思う。
自分の世界を生み出したことで、今度はそこに人を踏み入れることを恐れてしまったけど、
いつまでも極小化された自分の世界だけで生きていく(描き続ける)ことは、そろそろ止めたいんだ。

きっと転機なんだろうな。
「自分は変わらないけど、お前は変われ」が
全てのディスコミュニケーションの基であるという話が
なかなか印象的で、これまでは自分の世界を守ることを優先していたけれど、
今後は私や私の世界の形を、徐々に変化させていきたい。
始めのうちは、それまで逃げてた孤独感と正面きってぶつかることになるけれど、
それくらい頑張りたいと思えることはきっととても幸せなことだ。

そしてそれが完成したら、孤独を拭う、マイナスをゼロにする愛からもう一歩進んで、
ゼロをプラスにする、楽しいや嬉しいをたくさん生み出す、そんな人になれたらいいなと思います。

2011年11月21日月曜日

萬福寺芸術祭に行きました

萬福寺芸術祭に行ってきました。










土曜日は雨でしたが日曜日は快晴で、とても気持ちよかったです。
昨年は行けなかったのですが、今年は作品も出展させていただけて、楽しみにしていました。

高木正勝さんの作品をお寺の門の上で見れたのが嬉しかったな。
展示されてる作品もどれも素敵でした。

広いお寺の隅々まで、スタッフの気持ちがこもってるのが分かる展示でした。
すごく素敵だった。スタッフもお客さんも、みんな楽しそうだったな。
出展させていただけて、改めてありがたかったです。
来年もきっと行こう。

出展させていただいた作品は、
サイトpixivに掲載しています。
是非見ていただけたら嬉しいです。

2011年11月18日金曜日

自分の少し大事な話 後半



後半

長いので一区切り。
前半から読んでください

「村おこし」は「村」を「おこす」ではなく「村民」と「育てる」必要があると考えました。
だけど私は今まで、村おこしなんて考えたこともなかった。敢えて避けてきた。
なので具体的な行動を、どう考え始めたらいいのかさっぱり分からない。

最近読んだ原研哉さんの「デザインのデザイン」にそのヒントになりそうな記述があったので、少し長いけど引用する。

未来のヴィジョンに関与する立場にある人は「にぎわい」を計画するという発想をそろそろやめたほうがいい。
「町おこし」などという言葉がかつて言い交わされたことがあるがそういうことで「おこされた」町は無惨である。
町はおこされておきるものではない。その魅力はひとえにそのたたずまいである。
おこすのではなく、むしろ静けさと成熟に本気で向き合い、それが成就した後にも「情報発信」などしないで、
それを森の奥や湯気の向こうにひっそりと置いておけばいい。
優れたものは必ず発見される。「たたずまい」とはそのような力であり、
それがコミュニケーションの大きな資源となるはずである。
原研哉『デザインのデザイン』岩崎書店 2003年10月発行

前半冒頭で紹介した、川俣さんのインタビューには、

そんなに簡単に町おこしが出来るわけがない。町おこしのための町おこしが、
結果としてまったく町おこしになっていないという例をいくつも見ています。
結局は、人がどうやって繋がっていくのかということでしかないのに、
経済などの観点からいろいろなイベントを組んでも、一過性のアイディアでは将来に繋がらないです。
もう少し長いスパンで付き合っていかなければ、イベントで人を呼んで町が起こるというのはありえないと身にしみて感じています。(略)
もっと根本的なところから町や人に関わっていかないと変わらないと思いますし、
経済的なものだけではなく、教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるかであったり、
もっと地味な繋がり、コミュニティと接していかないとなかなか結果は出ないと思います。

とある。

私は、川俣さんのいう「人がどうやって繋がっていくのかということでしかない」
「教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるか」に着目して考えたい。
これがきっと一番難しいし、私が苦手として逃げ出した部分でもある。

農家の人は毎日ほんとに忙しい。朝4時くらいから起きてる。
一日中、寒かったり暑かったり重かったり冷たかったり、私じゃ1時間で音を上げそうな、そんな仕事をしてる。
牛相手じゃお休みだってとれない。
そんな人に、一時的にアート作品を見せるとか、村にアート作品を置くとか、そんなことしたって何もならないと思う。
小学校で1日だけ、○○に絵を描くなんて授業をしたって、村を育てるにはならない。
もっと生活になじむコミュニケーションを考えたい。

例えば(今考えながら書いてるから大したアイデア出てないです)、
椎茸の苗木が黒いカバーをかけられてずらっと並ぶのだけど、そのカバーをもっと美しくできないか、とか…?
並べ方を美しく出来ないかとか?
牧草ロールをもっと美しくできないかとか?
牧場の牛にはおうちの名前が書いてあってそれはそれで可愛いけど、
もっと別のアイコンを考えることはできないかとか?
丸太の並べ方を変えたら美しくならないかとか?
こんな小さなことだけではなく、川俣さんのプロジェクトのように大きなスケールで考えてみたい。
全くの白紙の状態だけど、永続的に続けられることを考えてみたい。

私のアイデンティティがそこにあると分かった以上、これ以上コミュニケーションを逃げたくないのだ。
頭の中で考えているだけにせよ、その地と向き合うことが、自分と向きあうことでもあると気がついたように思う。
村と人と表現を通してコミュニケーションをとる、もしくはコミュニケーションを通して表現する、
どちらにせよ、今まで逃げてきて「どこにでもない場所」にいる感覚だった私には、不慣れなことでびくびくしてるけど少し嬉しい。

当面は今のこの場所で、あの場所を滲ませながら絵を描くしかできないけど
私が育ったのはあの村だというアイデンティティを確信した以上、それを発信していきたいと思う。
そして今の、これからの私に出来ることを、もっと考えていきたい。

自分の少し大事な話 前半

最近、村おこし、町おこしのことをよく考えている。
この「おこし」という言葉をあまり使いたくないけど、他にないのでこれを使います。
考えはじめると、思っていた以上に自分にとってのキーワードだったことが分かった。

考えはじめたきっかけは、川俣保さんのインタビュー記事を読んだこと。

この記事、とても良いので是非読んでほしいです。
この記事を読んでから、村おこしについて考え続けてる。

何を考えているかの前に自分の話。
長くなるけど、これを書かないと次に辿り着けない。

私は九州の人口1800人(私がいた当時なので、2010年では1600人くらいらしい)の
小さな村出身で、小学校の同級生とか私を含めて3人だった。中学校で20人。

どんな村かというと、まず標高700m。山の上。車でヘアピンカーブを登る。
名水100選に選ばれるような水源があって、水道の水はそこの水。
家の前にはたんぼが広がって、通学路に牛舎があって、鶏の声に朝起こされて、
村民放送でラジオ体操が流れて、ポストが丸い。
民宿があって、干し柿が吊るされてあって、ハウス栽培でトマトやちんげん菜が育ってる。
家の隣の川にカワセミがいる。フクロウもいる。キツネもいる。
イノシシが出ると、「イノシシ駆除隊の皆さんは〜に集合」みたいな村民放送が流れる。
5月になると、ものすごく大きな、龍みたいな鯉のぼりがあちこちで空を泳いでる。
冬は水道が凍ると爆発するので、常に水をちょっぴり出しておかなきゃいけない。
冷蔵庫より廊下の方が寒い。大根凍る。枕元に置いてたシクラメンが凍った。
車がないとどこにも行けない。最寄り駅まで車で25〜30分。

なんか書きながらセンチメンタルな気分だけど、書く。私はそんなとこで育ったんです。
私はその村に自分から住みたいと言ったのです。元々の実家がそこという訳ではない。
私が住みたいと言ったから、そこに住むことになったのです。
去年くらいにふと、自分の絵はあの場所で育たなかったら描けなかったことに気がついた。
最近、日本人として制作する上でのアイデンティティってなんだろうと考えていて、
「日本」と考えるとまだピンとこないけど、「村」を思い出したらそこに私のアイデンティティがあると思った。

でもこれからは都会に住むだろうと確信してる。
確信の8割方は車の免許を今までもこれからも取得することはないという理由から。
自分の性格と能力を照らし合わせて、無理ですと判断しました。悲しいです。

重要なのは残りの2割。
村の景色が染み付いているはずなのに、私はあまりその話をすることはないし、
結構特殊な体験(蜂を食べたとか、鶏の産卵を毎日間近で見てたとか)をしてることを
アイデンティティとして前面に押し出してこなかった。

それは自分の中に少しだけ、あの場から逃げた感覚があるからだと思う。

私が都会に住むのは、都会の隣人に対して一切干渉しない環境に依存してるから。
田舎コミュニケーションは、玄関は開けておく。誰かが当然のように入ってくる。物理的にもそうだし、精神的にもそう。
きっとそうでないと暮らしていけない環境が、昔からそこにあるからだと思う。
道の草刈りとか、冠婚葬祭とか、みんなでしなくちゃ暮らしていけないから、全員でする。
そんなコミュニケーションが苦手で、それから逃げて、都会に住んでると自分では感じてる。
村のことを思い出すと、罪悪感がどっしりくる。好きなだけに苦しい。
だから村おこしのこととか、敢えて考えるのを避けてたと思う。でもその単語は普通の人よりなじみ深い。

上の記事を読んで、今の私だからこそ出来ることがもしかしたらあるんじゃないか、と考えるようになった。
村おこし、町おこしって、カフェやお店を開店したり、イベントを計画したり、することではない。
もしそれが流行って、長期で続いたら結果的に村おこしに繋がることもあるけど、
単発で行ったら何の意味も無い。これは実際に良い例も悪い例も見てきて思う。
うちの村には、良い例が少ない気がしてたけど、これは後者の単発的なものが多かったからだと思った。
「村」を「おこす」のではなく「村」を「村と」「育てる」必要があり、その「村」は「村民」と言い換えられる。
そんな計画を立てなくてはいけないんじゃないかと考えました。
後半に続きます。

2011年11月11日金曜日

キャンバスに私を閉じ込めるということ

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参加予定
「萬福寺芸術祭ーENー」
2011.11.19[sat]-20[sun] 12:00-19:00
会場|黄檗宗大本山萬福寺

詳細は一つ前の記事に記載しています
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昨日読んだ、宮島達夫さんのこの言葉がとても良かった。

自分の中に生じていた違和感。
言葉が大切だということはよく分かる、
でも作品のコンセプトをはっきり完璧に言いあげることができれば、
そもそも自分が作品を作っていただろうかという違和感。
でも言葉って大切だと思う矛盾。
「言葉が大事」という認識と「絵画で表す理由」のバランスを巧くとることが出来なかった。

この小さな矛盾と違和感を払拭してもらえたように思う。

言葉にするのが大切なのは、一つ一つの絵の説明ではなく全体を通した世界観。自分の指標。
何を作りたいのか、
何を考えているのか、
どう生きてきたのか、
どう生きていきたいのか、
誰を、なぜ好きなのか、
私の世界は一体どんな世界なのか。

私がどんな世界観を持っているか、徐々に固まってきたように思う。
今のところキーになっているのは「全」と「線」、あやふやなのは「点」。
全ては繋がっているということ。「点」は「一」とも「個」とも「今この瞬間」とも言い換えられる。
線の上の「点」をこれから詰めていきたい。

こうして考えれば考える程、絵を描くって難しいと感じてる。
自分に渦巻く考えがどんなことを言っているか、ようやく掴めつつあるというのに、
それをどうキャンバスの上に落とし込めばいいのだろうか。
この考えが何色なのか、どんな形をしているのか、格闘しなくてはならない。
落とし込むというより、流し込むの方がイメージとしては近い。あくまでもニュアンスの話だけど。
創るってこんなに難しいことだったのか。
でも創りたくてしょうがない。私の世界を形にしたい。

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明日は、岐阜県美術館所蔵 ルドンとその周辺ー夢見る世紀末展に行こうと思います。とても楽しみ!
ルドンを見るのはおそらく初めて。あの独特な空間を醸し出す色使いをゆっくり見てきたいです。
あと、最近興味が薄れてきていたけど、印象派、
コローとドガが見たいな、と思った。ドガは生で見たらきっと綺麗だと思う。
あとセザンヌもちょっと楽しみ。すごく混んでるだろうかから、早起きして行こう。
そしてANTEROOM KYOTOで、「超京都名和晃平さんキュレーションという、すごく楽しみな企画展!
明日はゆっくり本を読もうなんて思っていたのですが、1日中動き回ることになりそうです。楽しみ。

2011年11月7日月曜日

ブログ移転しました/展示のお知らせ


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久しぶりに展示に参加します!

「萬福寺芸術祭ーENー」
2011.11.19[sat]-20[sun] 12:00-19:00
会場|黄檗宗大本山萬福寺

アクセス等、詳細はこちら
オープニング映像がきれいです。

今回は2点、既存の作品1点と新作1点を展示販売させていただきます。
既存の作品はこちら



新作はイベント後にwebにアップします。

展示をさせていただくのは、半年以上ぶり。
久しぶりに絵を直接見ていただける機会をいただけて、とても嬉しいです。
萬福寺自体がとても素敵なお寺のようです。
ぜひ京都の秋を楽しみながら、芸術に触れられるこの期間に
「萬福寺芸術祭ーENー」にいらしてもらえればと思います。

ちなみに19日同イベントで大学からの友人、ナキミソがライブをするそうです。
彼女は、今公開中の映画「モテキ」にも本人アーティストとして出演しているので、
ぜひそちらもチェックしてください。

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ブログを移転しました。過去ブログはこちら
1年分くらい、記事は移行させました。
今までのブログは、なんだかんだ3年半くらい続いていて、
愛着もあったのですが、twitterやfacebook、google+等、
SNSとの連携がこちらの方が便利そうだったので、移転しました。
そのうちサイトもドメインを取得して、きちんと作ろうと思います。
新しいブログはまだ手探りの状態なので、表示等おかしいところがあれば教えてください。

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先週は、3大学の学祭に行ってきました。

一つ目は、母校精華大学の学祭。
毎年、自分たちが作っていたサークル恒例のライブハウス、
今年も後輩たちが今年なりの工夫をして作っていて、
同期や先輩たちが帰ってきていて、一年に一度の当時の気分に戻れる素敵な日でした。

三つ目は昨日、京都市立芸大の学祭に行ってきました。
初めて京芸行ってきた。桂駅からバスで20分。

そこでひでつう先生(twitter @Hidetwo)の講演を聞いてきました。
ひでつう先生のツイートやブログが元々とても好きなので、今回初めてお話を伺えて嬉しかったです。
求められていることをする、という話が、新しい視点だった。
つまらなくても、おもしろくても、その時求められていることをする。
あまりこのこと意識していなかった気がする。覚えておこう。

講演会の様子

自己ブランディングする為の具体的な方法の話も分かり易かったし、
目標や、現状を可視化する話もおもしろかった。
数年先のカレンダーを埋める作業、早速挑戦してみよう。
ひでつう先生、今度はお酒飲みながらお話聴いてみたいなあ…


先日、別のところで聞いた、自分のアンチがほしいって意見に先日ぐらぐらきた。
嫌われるという自己ブランディング。
私は、どちらかというと、素直に好きと言ってもらえる作品を作りたいけど、
私の絵を好きな人もいれば、嫌いな人もいる、ということをもっとはっきりさせなくてはいけない気がする。
誰からも「嫌われない」作品づくりになってはいないか。
イラストレーションならば、それも構わないと思う。それは求められることだと思う。
ただ、キャンバスに油絵を描いている今、逃げの姿勢が前提なんて、いくらなんでも恥ずかしい。

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今読んでいる本はこちらです。





最近注目していた「選択」の話。
読み始めたばかりですが、野生より食事や寝床といった待遇がいいはずの
動物園の動物がなぜ野生よりずっと早死にするのかなど、興味深い内容です。

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最近、よく食事とワインをともにしていた人が、数ヶ月仕事で海外に旅立ち、
ネット越しに向こうでの生活の話を聴いて、すごいなあと励まされています。
私も、知識や経験を自ら求めて行動したい。
まずは、久々の展示、はりきります!多くの方の目にとまる作品になるよう、頑張ります。