2012年4月23日月曜日

4月のこと


タカ・イシイギャラリーの前で友人に撮ってもらった



先週末は仕事しか予定がないなあ、と思っていたのですが、
いざ週末を迎えると楽しいことが山盛りで、すごく楽しい2日間でした。

土曜日は、とても嬉しい出会いがあって、たくさんお話ができました。
本当に楽しかったし、嬉しかったです。色々吸収できた。

京都藤井大丸で現在開催中の「Grassland」のレセプションにも参加しました。
会いたい人にも会えたし、素敵な作品も見れました。
版画作品、ほしいのがあったけど大きすぎて買えなかった…。
好きな作品を買える日がとても楽しみです。

4月は仕事が大詰めでヒーヒー言ってた印象ですが、
よく考えると、自分にとって大事なことをたくさん話せた月でした。

先々週は、瀬戸内に一緒に行ったと1年ぶりくらいに会えたのも嬉しかった。
年に数回会って、一緒に旅行に行ったり、喋ったりするのですが、
会う度に仕事の話や、好きなことの話や刺激をもらえます。
別の職場、業界なのに、働いて2年経ったお互いの気づきには共通点があって、おもしろかった。
新しいことにどんどん挑戦していて、聞いてるだけで励まされました。
今度一緒に韓国に行くことになりそう。トルコも一緒に行きたいです。

また、京都のアート界隈の人や、勉強家の方が集まる場所で開催された、
女子ドク会という場に参加できたのもおもしろかった。
「女子ってなに」ということをそれぞれ考えて話す会でしたが、
知らない人たち10数人の前で、自分の意見を言うことは今までは避けがちでしたが、楽しめました。

草間彌生展も最終日の午前中に駆け込めたし、美味しいピザも食べました。
大学同期と久々にごはんに行き、なんでもないことで笑えたのも嬉しい。

いそがしいいそがしい、ばっかり言っていたけれど、充分楽しめたし、
嬉しいことがたくさんあった月でした。
どこを見るかで過去は変わってくるんだなあ。
もう少し落ち着いたら、また絵を描き始めたいです。
今週末はアート京都に行きます。

2012年4月19日木曜日

子どもの気持ち





子どもの頃に、
「子どもは大人が思っている以上に色々考えているということを大人になっても忘れないようにしよう」
と思ったことをよく覚えている。



今日、この人の自閉症スペクトラム障害の息子を撮影した写真を見て、とても素敵だなあと思った。
この人の他の作品も見たけど、息子を撮った写真が一番すきだった。


写真に対しての感想は、twitterやfacebookに書いたので割愛するけど、
私はこの写真を見て、父と息子それぞれの、声にならない悲鳴が聞こえたように思えた。
でもそれは、自閉症という病気や、親子という関係性に対するバイアスがかかっているからで、
そう見出すことで、切ない気持ちを味わいたいのではないか、と思った。
「感動したい」という欲求を否定することはないけど、なんだか自分の気持ちに対して違和感があって、
もしこの写真が、幸せいっぱいの気持ちに満ちている写真だったら、私はがっかりするのだろうか、と思った。


子どもを扱ったテーマに対して、子どもの「嘘のないまっすぐな気持ち」を前提に、
感動したり、苦しんだり、笑ったりしていないかと、常に自問自答している。


私は嘘をつく子どもだったから。
小学校2年生のとき「モチモチの木」という絵本の読書感想文で賞をもらい、
こう書いたら褒められるんだって学んだ。
その後は作文が得意だった。クラスの代表になったことも何度かある。
私の子ども時代なんて、全然かわいくなかった。


最近よく子どもがほしいと思う。
以前は全然ほしくないと思っていたけど、最近よく思う。


子どもの頃の私は、子どもがいかに独立した人間であるか(もちろん経済的ではなく、気持ちの問題)、を訴えていたけれど、
子どもであるというだけで、信じてくれる愛してくれる存在なんて、
家族以外にいないのだということを、大人になって噛み締めている。
(経済的に独立していないのに、独立した存在と認めろだなんて、
それ自体が子どもらしさと言えるだろうけど、それはちょっと別の話)
自分が母親になったら、「子ども」を全て受け入れる母親になるのだろうか、
「その人」を全て受け入れようとする母親になるのだろうか。
今はまだ、どちらにもなりたいのかもしれない。

2012年4月13日金曜日

ため息の雲







ため息をすると魂が抜ける、という話を聞いて、ため息の多い私はいつか埋もれてしまうのではないかと思いました。
oil on camvas


習作の小作品なので、こちらに載せました。
クリックで少し大きくなります

2012年4月6日金曜日

龍の鱗

中学生くらいで読んだ小説で、龍の鱗の話があったな。
短編集なんだけど、どれも龍の鱗がモチーフになっている。
どの話の中でも、龍の鱗は大事なもので、みんなが欲しがってやまない。
神秘の力を持っている。

その中の最後の話が特によく覚えてる。

絵描きの話。
それなりに有名な作家が、壁画のコンペか何かに参加することになって、
優勝したものがテーマパークの外装に使われることになった。
決められたテーマは龍の絵。
でもここの数年、その絵描きはあまり良い絵が描けてなくて、
プライドだけはあるので、ライバルの画家を見下し、その反面嫉妬に狂ってた。
もの静かで謙虚なライバルには、病弱の息子がいるらしかったが、そんなことはどうでもいい、
負ける訳にはいかない主人公は、弟子達が感嘆の声を挙げるほどの、数年来の傑作を完成させる。
安堵した彼は、ライバル画家の作品を偵察に行った。
そこで見たものは、自分の力なんて到底及ばない、これこそが傑作といえるものだった。
主人公の絵が嵐のような絵とするならば、ライバルの作品は、静かな海のようだった。
それでいて、沸き上がるような生命力を感じる作品だった。
かなわないと一瞬で悟った主人公は、ふらふらと公園に逃げ込む。
奇しくもそこでライバルと、その息子の会話に遭遇する。
息子は首から袋をぶらさげており、それは父からもらったお守りらしい。
影からしばらく聞いていると、そのお守りはどうやら「龍の鱗」らしい。
何やら不思議な力を持つそのお守りは、息子を守っているとのことだ。
2人が会話を終え別れるのを見届けると、主人公は息子に声をかけ、力づくで鱗を奪った。
雨が降り出した公園では、息子が1人倒れていた。
急ぎアトリエに戻った主人公は、早速鱗を取り出し、ほのかに温かく感じるその鱗を絵具で塗りつぶす。
自分の絵に足りないものが分かったのだ。
そしてその鱗を自分が描いた龍の目に装着した。
その途端、龍は動き始め、火を噴いた。炎が主人公を包むのは一瞬だった。
龍はそのまま、空に飛び立ち消えてしまった。
コンペ後、テーマパークの外装には、ライバルが描いた作品が使われる。
その静かな絵は、とても悲しい絵に見えた。
息子がどうやら死んでしまったらしい。

こんな話だった気がする。
ところどころ違うかもしれないけれど。
最近、この話をよく思い出す。
私が龍の鱗を手にしたら。
炎に包まれながらも作家は、究極の絵が描けた恍惚に酔いしれる反面、敗北感に包まれていただろう。
その死は成すべくしてなされたと思っていたに違いない。

3時半をまわろうとしている。

きみの承認欲求なんて、
わたしが全部埋めてあげるのに。

2012年4月4日水曜日

明日になれば


ほぼ日の「今日のダーリン」のように、毎日連続で書こうと思っているのですが、
なかなかかなわない日が続いています。
最近は、これまでの中で一番仕事が忙しく、職場のソファで縮こまって仮眠を取るが多いです。
腰と内股(?)に激痛が走るので、今晩は家のベッドで寝られるよう、もう一踏ん張り頑張ります。

あまり情報を追ったり、何かを考えたりすることもできない日が続いています。
最近はBRUTUSの糸井重里さんの特集を空き時間に少しずつ読むのにはまっていました。
糸井さんの人に囲まれる雰囲気が好きです。みんなが何をほしがっているのかが分かる人なんだろうな。
仲良くなってみたいなあ。

原研哉さんの「白」を読みました。その中で、一番最後に書いてあったお話。
銀閣(慈照寺)は、庭園が素敵なお寺で、
足利義政はほんとに趣味のいい人だったんだろうなと思うのですが、
その慈照寺のお掃除や庭の手入れをする職人は、長年働いて、定年を迎えた時だけ、
銀閣の2階、「潮音閣」に登ることを許されるそうです。

この話がとても好きで、「潮音閣」に入った職人は、今まで何人くらいいるんだろうとか
何時頃に入るんだろう、とか、たった1人で入るんだろうか、とか、
こっそり形見を残した人はいないんだろうか、とか、想像が膨らみました。
たった1日を、どれほど楽しみにしているんだろう。
ウン十年、自分が手入れをした庭は、そこからどのように見えるんだろう。

インターネットはもちろん、仕事でもなんでも、めまぐるしい日々です。
いつの間にか春になっていました。
きっと、すぐに夏です。去年の夏は、鴨川でみたらし団子を食べたことをよく覚えています。
移り変わる景色の中で、継続する努力や、保ち続けることに、美しさを感じます。
小さなことでも、決めたことを継続していきたい。それはきっと、大きなものとなって還ってくると思います。
だからまずは今年から、ブログを毎日更新!と思っていたのですがなかなか難しいです…
5月後半から…がんばります……



続くといえば、大学の後輩が卒業しました。
その子たちの卒業は、この春一度だけですが、少し寒い春のこの匂いは毎年変わらない。
卒業しないでと大泣きした記憶も、随分前のことになりました。当時の友人や先輩は、今でも変わらず友人です。
私が追いコンで泣いた、ねじ梅タッシと思い出ナンセンスの演奏で、今年の卒業生も泣いていました。
卒業して、俯瞰してそれを見れる立場になったことを、嬉しいなあと思いました。

春の高揚も、夏の切なさも、秋の優しさも、冬のため息も、
表面的なものは違えど、根っこはきっと変わらないのだ。