2012年4月19日木曜日

子どもの気持ち





子どもの頃に、
「子どもは大人が思っている以上に色々考えているということを大人になっても忘れないようにしよう」
と思ったことをよく覚えている。



今日、この人の自閉症スペクトラム障害の息子を撮影した写真を見て、とても素敵だなあと思った。
この人の他の作品も見たけど、息子を撮った写真が一番すきだった。


写真に対しての感想は、twitterやfacebookに書いたので割愛するけど、
私はこの写真を見て、父と息子それぞれの、声にならない悲鳴が聞こえたように思えた。
でもそれは、自閉症という病気や、親子という関係性に対するバイアスがかかっているからで、
そう見出すことで、切ない気持ちを味わいたいのではないか、と思った。
「感動したい」という欲求を否定することはないけど、なんだか自分の気持ちに対して違和感があって、
もしこの写真が、幸せいっぱいの気持ちに満ちている写真だったら、私はがっかりするのだろうか、と思った。


子どもを扱ったテーマに対して、子どもの「嘘のないまっすぐな気持ち」を前提に、
感動したり、苦しんだり、笑ったりしていないかと、常に自問自答している。


私は嘘をつく子どもだったから。
小学校2年生のとき「モチモチの木」という絵本の読書感想文で賞をもらい、
こう書いたら褒められるんだって学んだ。
その後は作文が得意だった。クラスの代表になったことも何度かある。
私の子ども時代なんて、全然かわいくなかった。


最近よく子どもがほしいと思う。
以前は全然ほしくないと思っていたけど、最近よく思う。


子どもの頃の私は、子どもがいかに独立した人間であるか(もちろん経済的ではなく、気持ちの問題)、を訴えていたけれど、
子どもであるというだけで、信じてくれる愛してくれる存在なんて、
家族以外にいないのだということを、大人になって噛み締めている。
(経済的に独立していないのに、独立した存在と認めろだなんて、
それ自体が子どもらしさと言えるだろうけど、それはちょっと別の話)
自分が母親になったら、「子ども」を全て受け入れる母親になるのだろうか、
「その人」を全て受け入れようとする母親になるのだろうか。
今はまだ、どちらにもなりたいのかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿