2012年2月28日火曜日

邂逅

動物って何を考えているんだろうとよく思う。
実家の犬や猫は悪巧みをするし、ほ乳類は感情があるように見えるけど、
魚や鳥や、は虫類、虫等って何も考えていないようにぼんやり思ってた。

何も考えていない生き方ってどんなだろう。
魚は水をどんな感触でとらえているんだろう。
鳥は飛んでて寒くないのか。
暑いや寒いに、快/不快を感じることはあるのだろうか。
全く何も考えず行動するって、どんな感覚だろう。
自身を個として捉えることってあるんだろうか。
種として捉えているのか。
彼らは一体何によって、身体を動かされているのか。
選択をしないで、どうやって行動できるのか。
本能ってなんなのか。

私も帰宅後にだらだらベッドでtwitterを眺めているときは何も考えていないけど、
でもきっとそういうのとは違う。
魚の気分とか、鳥の気分、虫の気分を想像してみたら、
「生きる」の一番最低限のラインに少しだけ降り立てるような、
そんな気分にちょっとだけなる、気がする。

2012年2月27日月曜日

自暴自棄の中で




週明けです。
本来ならば、東京キラキラウィークエンドの話を展開する予定だったのですが、
諸事情により東京に行けず、うじうじした週末を過ごしました。
友人数名にたくさん心配をかけてしまって申し訳ないです。
心配されるような大したことでは全く無いのですが、
ちょっと情けなくて泣きそうなので理由は秘密です。。。

そんなこんなでうじうじとひたすら絵を描いていた2日間でした。
救いは今描いている絵を、久しぶりに描いてる段階からすごく気に入ってること。
これから描き込んでいくので、気に入るものに仕上がったらいいなあとどきどきです。

私には定期的に引き蘢りになる時期があるようで、それがないと絵が描けないのかなと、ふと思いました。
家に居続けるのがそれほど好きではなくて、家にいてもどこかに遊びに出かけたくなるし、
せめてコーヒー1杯でも飲みにいきたくなる。でも、それを考えながらもただひたすら部屋で悶々としている。
ベッドで本を読んで、トイレに立って、そのついでに絵を描き始めて、気がついたら数時間。
外は薄暗くなっているし、週末も終わってしまう。
そんな時にtwitterやらfacebookを見てしまうと、みんな意欲的に活動しているので、
自分は一日何をしたのかと気分はどん底です。

今週末もそんな感じでした。
ただ、本屋さんと画材屋さんにでかけ、本屋さんで見かけたこの本に、



「自暴自棄から作品は生まれる」と書かれていて少し救われた。
もちろん自暴自棄だけではないだろうけど、自暴自棄からも作品は生まれるんだと、
自暴自棄も絵を描く日常には不可欠だったのかと、ほっとしました。

(ちなみに、本屋さんで1人べそべそうだうだしていたら、
お誘いの電話をいただいて、おいしいムール貝とクリームチーズを食べました。
スタバのチャイティラテをオールミルクで飲みました。
素敵な週末でした。)

最近は、どう生きるか、どう生きたかといったことに対して少し焦り気味で、
今月何をしたのか、今日何をしたのか、常に自分の中で言葉にできるようにしておきたいと思っています。
「いつもどおり」って言わないようにしたい。
「いつもどおり」をいつまで続けるのか考えたら、少し恐くなった。
何もしなかったにしろ、あえて何もしなかったという選択をしたといえるようにしたいなあ。
だらだら生きたくない。思ったより時間がない。
生き急ぐなと言われたこともあるけれど、それでも、と焦りを感じています。
もう少しだけ背伸びして頑張りたいです。

2012年2月24日金曜日

制作に対する反省と東京行き



最近描いている二枚。

絵を描いている間は、恐らく生活の中で一番考え事が捗る時間ですが、
昨日は描きながらずっと反省していました。

私は技術力が全くなくて、絵が下手なのですが、
今まで描いてきた技法を、きちんと整理してなかったのも要因だろうなと思いました。

絵を描く時は最終のゴールはある程度定めているけれど、細部に渡って具体的にイメージできてるわけではない。
決めているのは、最終の絵柄と下地の色くらい。そしてもやっとした雰囲気。
道筋は全然なく、寄り道しながら、この筆で描いてみよう、とか、ペイントナイフの方が落ち着くなあとか、
こうして文章にしてみると恥ずかしくなるくらい、計画性がなく描いてました。。

昨日は描きながら、それじゃあ駄目だ!と反省した。
料理と同じ。建築でもいい。
毎回違う作り方をしてたら同じ味のものは絶対できない。
変な調味料いれちゃって、美味しくなることもあるけれど、ほとんどの場合はいれなくても良かったかも…となる。

きちんとレシピや設計図を作ろうと思います。
道順通りに進んでみたい。
想像通りの絵が描きたい。
ゴールをもっと正確に定めて、そこに辿り着くのはどうすればいいか、もっと考えたい。
どうしたら描きたい絵を描けるのか、全然わからない…。

筆使いが下手過ぎるのも悩みです。
筆跡が残らない、もやっとした平面を筆で表現してみたい。
結局いつもペイントナイフでごりごり描いてしまいます。

大きいのを描こうとそればかり考えていたけれど、
しばらくは久々に小さいキャンバスを集めて、色んな技法を試してみようと思います。

上の青いのはPの50号(116.7 x 80.3cm)でうちの食器棚と同じ大きさなのですが、
しばらくの間はおあずけです。
下の白いのは小さいです。蜜蝋のマチエールの練習をするために描いてます。

小さいのが溜まったらどうしようかな。部屋が絵で埋まっていく…。

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話は変わりますが、明日、弾丸で東京に行くことにしました。
ギャラリーと美術館を一気にまわります。
行く予定の展示は以下。(画像は各サイト等からてn)











全部行けるかな…
特に楽しみなのは、鮫島さんの個展、G-tokyo、「『Cosmic Travelers –Toward the Unknown(コズミック・トラベラーズ ― 未知への旅)』」。
ポロックも楽しみだなあ。オトニエル展のポスター素敵。誰が作ったんだろう。

行くことを最後まで悩んで決めた今回。
絶対に何か得るものを持ち帰ろうと思います。
自分が何をいいと思うのか、なぜそれをいいと思うのか、常に追究する姿勢でいたい。

2012年2月22日水曜日

ニュージーランド旅行 その3

ニュージーランド旅行の写真、その3です。
私の過ごした元旦の写真。
ここからがニュージー真骨頂の写真です。

テカポ湖 







クイーンズタウン 




元旦に山登り


てっぺんついた!







 元旦に山登りしたのがすごく気持ちがよかった。
いい一年にならないわけがないって思った。
そんな眺めでした。

2012年2月20日月曜日

一寸先は白


優しくしたいと思う人に、優しくする人生を選びたいと思ったのだ。
自分にしか解決できないことを他人に求めてはいけないなあ。

2012年2月17日金曜日

真似をすること




今年の自分の目標はたくさんあるけれど、どれも継続することが大切なことばかりです。
継続が力になると常々思う。
去年は大きな変化を求めていたので、海外に2度も行ったり、東京にも数回行ったり、
がむしゃらに動いたけど、今年からはもう少し落ち着いて日々の努力を心がけようと思います。
そんなわけで今年はブログもこまめに書きます。

コピーライターの小霜和也さんという方のブログが好きで、よく読んでいるのですが、
先日更新されたこの記事がとても好きでした。


何事を成すにしても経験が大切だという話。
何もないところからいきなり生み出せることはなく、
上の人の真似をし続けて、経験を積み重ねたからこそ、正しい直感が生み出される。

真似をしろ、という話は社会人になってから本当によく聞く。
そして私も、まだまだ未熟でありつつも、真似することの大切さを実感してる。

今の会社では、デザインなんて全く未経験、
イラストレーターさえもほとんど触ったことがない…というような
素人の時に入れていただいて「とにかく真似ろ」と教えてもらった。
モラトリウムにどっぷり浸かっていた私は、人を真似したり影響を受けたりすることは、
恥ずかしいことのように思えてた。
オリジナリティがないと思ってた。(モラトリウムというより中2病かも)

ただ、その時に言われた言葉で今でもはっきりと覚えているのが、
「何を真似るのか、その選択がその人のセンスだ」ということ。
この言葉が自分にとってすごく印象的で、価値感が大きく変化した。
始めのころは今より仕事の時間が空いていたので、
空いている時間にデザイン資料本の中から好きなものを選んで、それと全く同じものを作ってみてた。
あの頃は、自分が会社の負債でしかないことが悔しくてたまらなかったので、
必死だったと思う。イラレの操作も覚えるのすごく早かった(独学なので不安はあるけど)

それはさておき、前述の小霜さんのブログでは、冒頭に
若者は大企業など行かずフリーとして生きるべしとか、行っても3年でやめるべしとか、そもそも大学に行く必要もないとか、そんな論調がよく目に入ってくる。
大反対だ。
とあるけれど、私は若くしてフリーでも成長し続けてる人を知っている。
ただ、そんな人が経験をしていないかというと真逆で、
普通の人が日常で流してしまうことを、経験として吸収する、そんなセンサーがあるように思う。
同じ物事を経験しても、私にとっては何気ないものを、
その人は様々な視点でそれを眺め、自分の言葉にしている。
その能力がどうすれば身につくのか教えて欲しいけれど、
恐らくそれもまた幼少から経験の積み重ねで身につけてきたものなのだろうと思う。
残念ながら私はそのトレーニングをしておらず、右から左に受け流してしまっていたので、
今必死で経験を自分の中に落とし込もうとしています。

真似をすることの大切さは色んな人が言っていて、
最近読んだ本の中では、
宮台真司さんの14歳からの社会学」では「感染する」という表現を使ってたし、
須藤元気さんは「風の谷のあの人と結婚する方法」の中で、守・破・離と言ってた。
そして、上記の二冊に共通することは、
「真似/感染/守」から最後は「卒業/離」することが大切ということ。
真似しっぱなしでは自分の言葉にならない。
始めから「自分の言葉を作ろう」とするのではなく、
まず真似して身につけ、そして壊していくことが大切なんだ。

今年は、地道に真似をしていきたいです。
何を真似するのか、その選択をする為に知識を得たことと、
真似をするための材料を集めたのが昨年したことだったように思います。

2012年2月15日水曜日

時間を建築する


いただいた沖縄のおみやげ。
圧倒的な存在感を仕事場のデスクで放っています。

今年は昨年よりなるべくブログを更新しようと意気込んでいます。
もうブログやサイトを始めて4年目に入る。
大学卒業までは、1年間ってなんだかんだで長く感じていたけれど、
今は1年ってすごく短く感じています。
身近な人たちの影響もある。
この1年間で何をするか、誰と仲良くなるか、
目標を明確に定めることが大事なんだとようやく実感を伴って気がつきました。
今までの私の目標は、今年はこうなったらいいな、こうしてみたいな、と夢物語が多かった。
1年間はあっという間なので、今年はこうすると決めたら、それまでに何をするか、
それにどれだけ時間がかかるか、きちんとスケジューリングをしなくちゃいけないと焦っています。

働き出して3年目に入ってしまいました。
そろそろ自分なりに自信を持てる結果を出したいです。
今年は本格的に自分のデザイン力を伸ばしたいと考えているし、
デザインのことをもっと考えていきたい。

今週の土曜日はこの対談にいってきます。


奥村昭夫と仕事展」トークイベント:いしいしんじさん(小説家)× 奥村昭夫さん


楽しみです。


先週は、


「アノニマスデザイン2.0--柳宗理から考える建築とデザインの現在 藤村龍至 岡田栄造 公開対談」


に行ってきました。
これが本当におもしろくて、今後自分がデザインを通して何をしたいのか、
以前から考えつつあったことに後押しされたような気がします。
またじっくり感想を書きたい。


最近は、京都の芸大が週ごとに市立美術館で卒業制作展や制作展をしているので、
毎週見に行っています。
成安造形大学、京都嵯峨芸術大学、京都市立芸術大学に今のところ行きました。
今週末は私が卒業した、京都精華大学の卒制展。
後輩も数人出展してるので尚更楽しみです。
卒業後は、自分の大学以外にも知り合いがたくさんできたので、
どの制作展に行っても、知ってる人や知ってる人の作品がある。
ネットで作品を見る機会はあれど、直接見れる機会はなかなか無いので、
とてもいい機会だなと思います。


私も直接作品を見てもらいたい。
その為にスケジュールをきちんと組んで動き出したいと思います。
ずるずると生きたくないんだ。
思ったより年を取るのは早い。手の甲が老けてきたし、お肌もかさかさ…。
ゆるゆる生きるのは大好きだけど、残り半分になりつつある20代のうちはおあずけにしとこうと思います。
前向きなのは、素敵な人たちがそばにいるからなんだ、嬉しいな。
がんばります。

2012年2月13日月曜日

ねじ梅タッシと思い出ナンセンス「とてもじゃないよ」PV公開

ねじ梅タッシと思い出ナンセンス「とてもじゃないよ」のPVが公開されました。
PV制作:橋本 聡輔さん 



何度聴いても好きな曲だー。
タッシさんの言葉は、心のどっかにすとんと入ってきて泣けるんだ。
「オラのことが好き、だなんてチミはどうかしてるよ ねえ 狂った人だね」
って私も言いたい。

amazonで購入可能です。




大学生の時からねじ梅の曲を何度聴いて、何度泣いたかわからない。
会社帰りの電車の中、水面にうつる電車の光を眺めながら、この曲を聴くのです。



「忘れられないことや 忘れられない人がいても 時間は戻らないから いくしかないんだ」
このフレーズを日々噛み締めて、振り向いても前を向こうとしてるんです。


この前、「とてもじゃないよ」のレコ発ライブに行きました。










私は大学の頃、特に1,2回生の頃は、所属していた音楽系サークルに没頭していて、
ライブハウスにばかり行っていました。多いときは週5の日とかもあった。
今は友人のライブ以外さっぱり行かなくなってしまったけど、
お酒を飲みながら音楽を聴いて、ゆらゆら揺れるのあの空間がすごく好きです。

ライブを見ながら、ふと、絵を見るのと音楽を聴くのは一緒なんだろうなと思った。
私が行くライブハウスの客層は、なんだかヒッピーみたいな服装で、お酒とタバコと性におぼれてる。
ギター1本で、世の中との摩擦や、いがいがした恋心や、孤独感を歌ってる。
それに比べて美術館やギャラリーは、白い空間でぱりっとしてるし、
服装もきちんと綺麗だったり、お上品なイメージがあった。

でも楽しみ方はきっと一緒でいいんだ。
ライブハウスによく通っていた頃、ベースの音ばかり拾おうとしたり、
音を聞き漏らさないよう神経をはったり、いろいろ試してみた。
でも辿り着いたのは、細かいことを気にせず、音や人や空間にのっかって、
ゆらゆら聴くのが一番楽しいなあということ。
音を細かく聞き込んだり、この部分は●●に似てると考えたり、
そういうのはCD等録音したものを聴いて考えればいいと思った。
ライブの時はただただ自分の感受性のみに頼って聴くのが楽しいと思った。

アートの場合、文脈を意識しないと理解できないことを知り、
作品を見るときも掲示されたコンセプトをきちんと読もうとしてる。
もちろんそれはとても大切で今後も継続するつもりだけど、
でもライブ感を忘れないようにしようと思った。
解説は、後々図録等でも読むことができる。写真を見ることもできる。
ただ、作品を前にした時の感動、音楽を聴いてゆらゆら揺れている状態は、
作品の目の前でしか得られない。
頭で理解するのみに意識を傾倒しすぎて、感性が鈍くなるのは良くないなあと実感しました。
どきどきする、とか、静かな気持ちになる、とか、水の中にいるみたい、とか、
そういう気持ちにも敏感でいたい。それを描きたい。

昨晩、久しぶりに50号のキャンバスにジェッソを塗る作業をして、
どんどん気持ちが穏やかになるのが分かった。
静かになるのが分かった。
そして膨らんでいくのが分かった。
私はこうして気持ちのバランスをとりながら生きているんだと改めて思った。
絵を描いた次の日は総じて文章がゆるゆるになるのも、何か関係しているんだろうな。
また描く日々を始めたいと思います。

2012年2月9日木曜日

果てにあるものは何なのか
















一昨日、昨日、ニコニコ生放送で放送されていた、
「ニコ論壇SP 村上隆個展「Murakami - Ego」カタールより独占生中継!」と
「ニコ論壇SP「闘争せよ!カタールから『日本・文化・未来』を考える」村上隆×東浩紀×岩渕貞哉ニコ論壇SP」を見ました。

村上さんが今、カタールのドーハで個展「Murakami - Ego」を開催されていて、
そこで展示されている新作「五百羅漢図」のコンセプトや、
311を受けてどう意識が変化したか、などすごく内面的な話が多かった印象でした。

この論壇を聴いている間、ずっとどきどきしっぱなしだった。あっという間の1時間だった。
その中でも印象に残っているのは、
311以降、芸術や思想は社会に切実に求められており、
村上さんや東さんがそれに応えられるものを作ろうと苦闘してきたという話。

「311以降は芸術や思想が求められるような緊急事態だった。」ということが今まで自分には全くピンと来ていなかった。
「文化は緊急事態にこそ必要なもので、普段の日常には必要ではない」なんて、真逆だと思っていた。
緊急事態に求められるのは物資やお金といった、生きる為に必要なもののみだと思っていた。
どちらかというと絵にできることはない、正確に言うと、お金にならない絵を描くならその材料費を寄付すべきだという考え方だった。

でも昨日の論壇は、そんな表面的な話ではなく、もっと真髄に迫る話だったと思う。
「強い作り手が作ったものを、弱い人が消費する」という表現が印象的だけど、
求められていることを与えることがどれほど大変なことか、ほんの少し知ることができた気がする。

物資の場合なら、「持っている人」が「持っていない人」に分け与える。
それが芸術や思想の場合は、「持っている/持っていない」のように始めから決まっているのではなく、
求められているものを生み出さなくてはならない。

311で生じた日本のほころびを埋め、更にその手段を解析し、世界に譲渡する処方箋を生み出すには、
村上さん曰く「人にしてあらずの仕事量と決意を持たなくてはならない」。

ほころびを埋めるほどのものを創る人は、人にあらずほど強くなくてはならない。
強くあるとはどういうことか、
私はずっと「強い人とは、孤独と戦い続けることが出来る人」だと思ってた。
でも今回この論壇を聴いて、上に加えて、ものすごく優しいことも条件に入るんだなと思った。
「誰かのため」を思い続けることができる人、誰かのためにしていることで痛みを伴っても、それでも戦い続けることが出来る人。
その「救った誰か」に理解されず報われなくても、それが恐らく一番の痛みだろうけど、それでも戦う人。

私が「絵にできることはない」と考えていたことや、
どこかで感じていた「絵を描いて励ますなんて自己満足ではないか」という考えは、
「絵」の持つ力の有無ではなく、私の意識が低かったのだと実感した。
自己満足にしかならない絵とは、私の描く絵のことだった。
今まで、自分自身を優しいと思ったことが一度もなかった理由が分かった。
誰かのために戦ってなかったんだな、と思った。

去年の今頃、311より少し前、人に対して全然優しくなれず、
自分がどれだけ弱く自分本位な人間なのか、自分自身によって思い知らされたことがあって、
そこからずっともがき苦しみ続けている。
その時の自分の弱さと、それに伴う醜さが今でも恐ろしい。

本気で向き合おうとした人に優しくなれなかった自分が、
世界を救えるくらい、優しく強くありたいなんて軽々しく口には出来ないけど、
この論壇を聴いて、あとたまたま今日いただいたお仕事のアドバイスによって、
それでも、本当に誰かのためになるものを創り出してみたいと思った。

平常時、表面的に優しく見える術だけを身につけるのではなく、
もっと本質的に身につけなくてはならないものがあると、意識を改めることができたと思います。

私の作ったもので、いつか償うことができればいいと思う。
誰かを救うことができればいいと思う。

2012年2月2日木曜日

【宣伝】ねじ梅タッシと思い出ナンセンス セカンドシングル発売


宣伝です。

2月1日、ねじ梅タッシと思い出ナンセンスの
セカンドシングルが発売されました!
今回もジャケットやCD盤面等、イラスト、デザイン担当させていただいております。
3曲入り300円とすごく安いお値段です。
全国のタワレコや、amazonで購入できます!
ぜひぜひ聴いて欲しいのです。
どうぞ宜しくお願いします。



この曲はラブソングで、「いつもロックンロールばっかりしててごめんね」って言ってます。
歌ってばっかり、ギター弾いてばっかり、お酒呑んでばっかり、タバコ吸ってばっかり、踊ってばっかり、
そんな彼氏が彼女に向かって歌ってる曲です。

私が男だったら、きっとこの歌彼女に聴かせてたと思う。
そんな歌です。

ボーカルのタッシさんも、思い出ナンセンスのみんなも、私にとってとても大事な人たち。
夏のファーストシングルに引き続き、今回も担当させていただいてとても嬉しく思ってます。

今週末にレコ発ライブ!詳細はこちら

私は京都の方に行きます。
2012年2月4日(土)
時間:OPEN 18:00 / START 19:00
会場:京都府 丸太町 ネガポジ

出演:
ねじ梅タッシと思い出ナンセンス
おとぎ話

[OPENING GUEST]
星の王子さまたち
東(マイマイズ)

料金:前売り2,000円 / 当日2,500円(共にドリンク代別)

2012年2月5日(日)
時間:OPEN 17:30 / START 18:00
会場:大阪府 十三 FANDANGO

出演:
ねじ梅タッシと思い出ナンセンス
北山タイチ朗 feat 長州ちから(レシーバーズポンポンヘッド)
POWER EMPIRE
odd eyes
谷村じゅげむ
ドラヒップ
GOD-J(アウトドアホームレス / 西洋甲冑Z)

料金:前売り2,000円 / 当日2,300円(共にドリンク代別)

私も見限る

時間が空くと考えてることが移り変わっていくので、
その都度文章化して自分の中に記憶したいのだけど、なかなか忙しい毎日を送っています。日々終電。
寒いのはとっても苦手です。

少し前までは、友人に借りた「セカイ系とは何か」という本を読んだことをきっかけに、
311の震災の時に感じたことを振り返り社会⇔自分をどうバランスとっていたか、
今後はどうしたいのか、など考えていました。
文章にしようと思っている間に、フェーズが変わってしまったようなのでまた気が向いたら言葉にします。

今日書くのは今年どう生きたいと思っているか、の話。

昨年来、少しずつ自分が見限ろうとしているなと思ってました。
他人事のような言い方だけど、今まで自分から見限るなんて私には絶対できなかった。
特に人間関係においては難しかった。ただ、昨年から少しずつそれが変化してきたように思う。
昨年、ひとつ大きな見限りをしたのもきっかけになってる。その選択が間違っていなかったと知ったから。
それに、踏ん切りがつかずぐずぐずしていた私に、
本当に大切な関係なら、繋がりたい時にまた繋がることができるとアドバイスをもらえたのも大きい。

私の好きなブロガーchikirinさんが、「今年のキーワードは見限る」というエントリーを更新されていて、
自分が見限りを始めたのは偶然ではなかったんだな、と思った。
311はもちろん大きなきっかけだろうけど、そろそろ一人ひとりが知識や人間関係や仕事などなど、
持ちきれない状況になっていたんだろうなと思う。

見限るというと切り捨てるようでどうにも抵抗があるのだけど、そうじゃなくて、
自分の気持ちを取捨選択し、本当に好きなものだけを残そうと思うんだ。
本だってたくさん読みたいし、たくさん知りたいことはある。
行きたい場所もたくさんある。話したい人もたくさんいる。
ただ、常にそれを、必要かどうか問う姿勢をとりたい。残すか残さないか考えたい。

そして、本当に好きなものや人と触れ合う時間を、決して無駄にしないようにしよう。
それらと共にあることが、どれだけ素敵なことか自覚しよう、と思っています。




本のはなし/
読みたい本も、amazonのほしいものリストに100冊以上は溜まっていて、減るどころか増え続けています。
でもそれも、「今すぐ読みたい」と、「またそのうち」は違うし、
結局買ってしまう本は、ほしいものリストに入っていない、店頭で気になった本だったりするのです。


最近読んだ本






デザインの教科書/ 柏木 博 
・多少建築に寄りがちでしたが、デザインが何の為にあるのか、
デザインとはなんなのか、などを有名どころに沿って検証する本でした。
自分が今後誰に向けてデザインをしていきたいのか、が少し明確になったように思う。

今読んでる本




次読む本




早急に読みたい本




     

プレゼントをしたくなる本にまた出会いたいです。
次に読む「白」はそうなるかもしれないと期待してます。