2015年4月21日火曜日

迷子





現在開催中の芸術祭、パラソフィアに行ってきた。
京都市美術館の地下など、これまで展示に使用しているところを見たことがない場所を
展示場所として使用されていたり、見せ方の工夫がすごく考えられていたところが素晴らしかった。
しかし肝心の作品がそこまで面白く感じられず、少し残念というのが感想だ。
写真の作品はその中で好きだったもの。
(とはいえ一番上については作品でなく、京都市美術館の忘れ傘置き場。)

先日の混乱の話につながるけれど、混乱させるにも技術がいる。
ただの分からないことだけ投げられても、確かに混乱するけれど、
思考につなげられるほど粘着力のある混乱には至らない。
興味を抱くような、わくわくする混乱を与えるには、高いクオリティやセンスが必要だ。
パラソフィアの作品群にそこまで面白みを感じなかった、というのはそういう点だった。
よく分からない、それだけで終わってしまう作品が多かったように思う。
現代美術で、よく分からないものに出会うことは多々あるけれど、
よく分からない中には分からないなりに、興味を惹かれるものはあるのだ。
そこから、アートじゃなくてはいけない執念を感じられるのかもしれない。

この半年は、自分の仕事や職場についてひたすら考え、知らないことばかりな現状を打破すべく、勉強するよう心がけているけれど、今後もずっと執念を持ち続けていきたい。
疲れてしまわないように、諦めてしまわないように、
有終の美を飾るための仕事なんてせず、生き続けるための執念の仕事をしていきたい。

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