2012年3月26日月曜日

色眼鏡をかける



風邪を引きました。4日目。
熱は下がりましたが頭がぼうっとしています。
仕事が忙しいので、気合いを入れなくては。


土日はほとんどベッドの上にいて、寝るか本を読んでいました。
(土曜夜はこっそり中華を食べに行きました。女子5人できゃいきゃいしました。
魏飯夷堂」、とてもおいしかったです。コース2500円でおなかぱんぱんになりました。
コースの内容は、前菜盛り合わせ(くらげやら芽キャベツやら)、小龍包、エビチリ、唐揚げ、青椒肉絲、チャーハン、杏仁豆腐。どれも大量でした。


先週の土曜日は、デザイナーの友人2人と、デザインの話をする会をしました。
(昨年9月にオープンしたベトナム料理のカフェバー、タムタムボンでごはんを食べました。
おいしくてお店も可愛かったです。牛肉とセロリの炒め物が特に好きでした。
2軒目はおしゃれバーのOILに。ここは3度目くらい。)


イラストレーターの操作の話(段組み設定でガイドをひく方法やブレンドのつかい方)や、
印刷の話、カメラの話、これからの話、いろいろ話せてとても面白かったです。
デザイナーの友人もっと増やしていきたいな。


印刷の話題では、
基本的にカラーの印刷物は、全て4色で構成され、4色の版を重ねて刷られているのですが
ただ重ねるだけだとモアレが起きる(視覚的に発生する縞模様、モヤっとする感じ)ので、
版が少しずつずらされている、という話がありました。
イメージしにくいと思うのですが、今、目の前の印刷物で、「紺色のべた塗り」と思うものも、
高解像度でスキャンしたら、青、赤、黄、黒のつぶつぶによって構成されていることが分かります。
肉眼では見えないつぶつぶがいっぱい重なって、
今見えている印刷物(紙だけではなくなんでも)は構成されているのです。


印刷の話がしたいのではなく、
今、自分が見ている世界が正しい世界であるという確証はない、ということを
子どもの頃からよく考えていたなあと思い出しました。


例えば、私が緑だと言っている色は、他人には、ピンクに見えるかもしれない。
でもその色を「みどり」という名前で呼んでいることは同じなので、
「みどり」といえば伝わるのかもしれない。
子どもの頃、そんな風によく考えていました。


最近読んだ本の中に、動物により時間の捉え方は異なるという話があり、
とてもおもしろかった印象があります。
人間にとって「瞬間」の時間の最小単位は、18分の1秒らしいです。
これは、映画のコマが切り替わるまでの上限値らしく、
18分の1秒以上時間がかかると、映画は紙芝居の様に一枚一枚静止画であることが認識できるらしい。
(つまりコマが切り替わり続けるので目がチカチカする)。
18分の1秒以下だと、連続しているように、動画として見えるらしいです。
おもしろかったのは、とある魚は、18分の1秒よりずっと短い時間まで認識でき、
カタツムリは3分の1秒までしか認識できないとのこと。
人間の映画を、その魚が見たら目がちかちかすると思うのだろうし(思わないだろうけど)、
カタツムリは3分の1秒までコマの切り替えを遅くしても、一続きの映画として見ていられるとのこと。
猫や犬はテレビを見てる時、どんな風に見えているんだろうか。


自分の世界は自分しか見られない、ということに、ちょっぴり絶望したけれど、
他人の世界を想像してみるのはおもしろいし、
だからこそ、自信を持って描けるものがあるのかもしれない。
自分が見えていることを当たり前だと思ってはいけないのだ。
そして、自分を完全に理解してもらえることもないのだ。


実体でさえ、主体が変わることによって見え方が変わるのならば、言葉なんて尚更あやふやです。
昔友人と喋っていた時に、「自信がある」という言葉を、
友人はプラスの言葉として捉え、私はマイナスの言葉として捉えていたので、
会話が噛み合わなかったことがありました。
ちなみに今ではプラスの言葉として捉えています。もう少し、今よりひねくれていた頃の話。


他人の世界を想像して、社会学者宮台さんの言葉を借りるなら「感染」して、
自分の世界を拡げていきたいな、と思いました。
毎日世界を変えられるなら、一生退屈はしないかも。

2012年3月12日月曜日

3.11に三十三間堂に行って


昨日は家から徒歩20分くらいのところにある、三十三間堂に行きました。

三十三間堂は後白河上皇の離宮として1165年に建立されたものらしいです。
観光の人が多かったのですが、NHKドラマの影響かもしれません。
昨日は気持ちのいい晴れた日だったので、ふと思い立って行ってみました。

感想は、すごく良かったです。
3.11に行けたことが、尚更良かった。

画像は公式サイトより転載

1001体(修復中のものもあったので厳密には1000弱)あるらしい千手観音像は圧巻だった。
想像よりずっと数が多くて奥が見えない。
ずらりと並ぶ千手観音像を見ながら、今ドバイで個展をされている村上隆さんの五百羅漢図を思い出した。
村上さんがされたかったことはきっとこういうことではないか、と思った。

以前ニコ生で放送されていた、村上さん、東さん、岩渕さんの対談で、
「文化は緊急事態にこそ必要なもの」とあり、それに驚いたと感想を書いたけど、
並ぶ千手観音像を見て、その意味をようやく実感した。


奇しくも三十三間堂も、1249年の火災や1830年の京都大震災などに見舞われながら、何度も修復された建物らしいです。(参照:wikipediaや堂内の案内板)
1001体ある仏像はほとんど焼けてしまったけれど、平安時代の建立当時のものは124躯残っているそう。

昔の生活は、今よりずっと天災に左右されるものだっただろうし、
自然の威力も今よりずっと身近に感じるものだったに違いない。
その中で、人が人の気持ちを救うには、宗教や芸術が不可欠だったのだと思う。
これこそが村上さんの言う「緊急事態にこそ芸術が必要とされる」ことだと思った。

そして、千手観音像が並ぶのを見て気がついたこと。
今回の震災のように大きな自然を前にすると、人間はいかに自分たちがちっぽけか実感する。
「自分は何もできない」と嘆いた人が今回どれだけたくさんいたんだろう。
震災をはじめ、自然の大きな力に打ちのめされた人を救うには、
それだけ大きなもの、圧倒されるものを作らなくてはいけないんだ。
1001体という数や、三十三間堂の長い堂内、中心にある大きな座像。
本当にすごい力を感じて、ここまでして初めて多くの人を救えるのかと思った。
村上さんが100mの絵画を描かれたことも、今回の震災を経て、必要とされる作品の力量を考えられた結論なんだと思う。
もしかすると、もっと大きいものを制作されたかったのかもしれない。
東さんが五百羅漢図に対して「宗教画のよう」とおっしゃってたのも本当にその通りだと思った。

並ぶ千手観音像を見て、座像の前で祈る人を見て、
人が人を祈らせるもってすごいことだとなんだか泣きそうになりました。
村上さんがおっしゃってた「芸術家は人に非ずの意識を持たなくてはいけない」が、
どれほど重い意味を持つ言葉かようやく気がつけたように思う。

1年後の昨日、3.11に行けて本当によかった。
人間って素晴らしいなと思った。


そして少し話しはずれるけど、もう一つすごいと思ったこと。
実は、三十三間堂の感想で「村上さんがされたかったことはこういうことかと思った」というのは、
私のオリジナルな感想ではないのです。
でもそれは最近の話ではなく、一年前、震災が起こる前にある人がおっしゃってたこと。
当時私にはさっぱり理解が出来ていなかったけど、その言葉が忘れられずにいて、
震災を経て、村上さんの五百羅漢図を知って、一年越しに行った三十三間堂でやっと分かった。
今でこそ私も実感を伴って言えるけど、震災前にそれに気付いていたってすごいなと、ぐるぐる回る頭の中で感じました。


震災から一年経って、まだ不安がたくさんある時だからこそ、
みんなが本当に良い芸術作品に触れてみればいいと思う。
昔から震災大国の日本には、その不安を包みこむ作品があるんじゃないかと思います。

2012年3月8日木曜日

ひとりぼっちの恐竜



小学生の時、恐竜と宇宙とことわざの図鑑が好きでした。
恐竜と宇宙は、図鑑を丸っと写して絵を描いたりしていた。
スキャンしてpdfとか写真として残すとかではなく、身体で記憶すること。
仕事に対してそんな姿勢を持ちたい。


恐竜と宇宙(星)は遠い感じが似ています。
どちらも孤独そうで、どちらも好きです。
一匹だけ生き残った恐竜がいたら悲しいな。

孤独といえば、ほぼ日で読んだ奈良美智さんの特集「ひとりぼっちの絵描き」がとても良かった。


これは28歳だから、これでいいだろうとか。
これは40歳だから、ここまでやろうとか。
完成っていうのは、やっぱり、その時点の完成で、
つぎの日になったら、完成作品じゃないんじゃないかな。
厳密には、そう思う。

ってとこ、分かるなあと思った。
今後どうなるか分からないけど、
絵を一生描き続けていくことはもう分かっていて、
でもどんな絵を描くかは一緒にいる人や、起こったことによって全然別物になっていく筈で、
それを純粋に楽しみに思える話だった。
将来の私は何を描くんだろう。
将来の私は何を思って、今描いてる絵や仕事を見るんだろう。
「うわー へたくそだなあ」って言いたいです。

ちょっと仕事が忙しいので今日はここまでにします。
もうひとふんばりするのだ。

2012年3月7日水曜日

3月


最近は夜に食べられていました。
理由もなくふさぎこんだり、おちこんだり。理由もないので、解決しようもなく。
ふと気がつけば自分のことばかり、自分の「したい」や「ほしい」ばかりに目がいっていて、情けなくなりました。
自分の想像以上に周りの人は忙しいし、大変だし、優しい。
先週は仕事が忙しかったのもあってか、視野が狭くなっていたようです。
今週からは気持ちに余裕が戻ってきました。よかった。

感謝することを今まであまりしてこなかったなあ と最近実感しています。
自分のしたことばかりに目をやって、人の優しさとか気がつくのへただった。
感謝すればするほど、日々が嬉しくなる気がします。
気恥ずかしがらずにお礼はきちんと言わなくちゃ。
(小学校の時に習った。)



最近、真心ブラザーズの「マイ・バック・ページ」を聴いて、
かっこいいなー、こんなおじさんになりたいなーと思ったのですが、
この曲は、「あの頃の僕より今の方がずっと若い」と歌っていて、
きっと「あの頃の僕」を自分に置き換えると「今の私」ということになる。
こんなおじさんになったら、「今の私」を批判することになるのだと思います。
でもそれもいいか、と思うようになったのが最近です。
後々後悔しない生き方に注力しすぎてしまって、何も出来ないのはもったいないと思うのです。
本来なら後悔しない生き方とは、後悔しないために「何でもする」ことだと思うのですが、
私は失敗(=後悔)を恐れて「何もしない」になりがちなので、
後々の自分が、今と違うことを言っていたっていいんだと柔軟な姿勢をとりたいと思います。


もうひとつ、大学のサークルの先輩がYoutubeデビューしてたのでこっそり掲載します。^^ニヤリ
大学1回生の時から、ずっと好きなふたり。この曲は特に好きな歌です。

今日めくった本に「大切なことはいつも当たり前の中にある」とありました。
「他人のためと思いながらする人はいつか腐ってしまう」ともありました。
上記で「視野が狭くなった」と書いたけど、改めて考えると「視界が鈍っていた」のかもしれない。
日々の当たり前のこと、大切なことに感謝しながら、今週の日曜日を迎えようと思います。

2012年3月5日月曜日

sumally

sumallyを始めました。
http://sumally.com/aoba_uematsu

色んな使い方があると思いますが、私は本当にほしいものと、自分の持っている大事なものを載せています。

sumallyを始めてみて、はじめのうち「want it」ばかり登録して、「have it」をほとんど登録してなかった。
(あくまで傾向として、女性は「want it」、男性は「have it」の登録が多いように感じる)
私は普段から、「○○になりたい」とか「○○したい」とか、常に未来を見てばかりで、
今この瞬間や、過去をあまり大事にしていないのかもしれない、と思いました。
元々、昔好きだったものや、自分が何に影響されているか、を説明するのが苦手だったので、
sumallyを始めて更に、今自分が持っているものに対してもっと愛着を持ちたいと思った。
自分のぼんやりした気持ちだけではなく、
何に影響を受けているのか、何を真似したいのか、もっと明確にしたい。
sumallyは、そんな自分の願望に結構向いているツールだと思います。

そんなわけで、今回は自分の一番の宝物を紹介します。
と思って画像フォルダを探しまくったのですが、画像がない。
唯一あった残念な画像を載せます。
ゆうたくんです。
右上、○で囲んである、死んでる?と思うようなかっこのゆうたくんです。



ゆうたくんとはかれこれ20年くらいの付き合いです。
母曰く「サンタさんの手作り」です。
幼稚園の頃、クリスマスプレゼントにもらって、それ以来ずっと一緒です。
「ゆうたくん」という名前はその時、自分で名付けました。(由来は謎です)
私の兄のような、初恋の相手のような、相談相手のような、そんな子でした。
未だにほつれもせず、ちょっと目がくぼんで、色あせたくらいで、しっかりしてます。
サンタさんはお裁縫上手のようです。
将来のサンタさんはお裁縫がクラスで一番へたくそだったので子どもはかわいそうです…。
もし家が火事になったら、ゆうたくんを持って逃げると思います。
もう1人、「アン人形」って女の子もいます。サーモンピンクの花柄のワンピース着てます。
この子も手作りのお人形で、ゆうたくんの少し妹分です。

私の将来の夢のひとつに、自分が子どもの頃読んでいた大量の絵本を、
自分の子どもにあげるというのがありますが、ゆうたくんとアン人形はあげないと思います。

ちなみに上の写真は、大学4年間住んでいた家を引っ越す日の写真でした。
ゆうたくんは自分で抱えて新居に行きました。

他に私の持ち物で、大切なものといえばカメラです。
canon kiss x3とシグマの単焦点レンズ。
写真を撮るより、絵を描く方が自分にとっては大事なことだけど、
物としてはカメラが大事。絵を描くのは手が大事。

そして、いま一番ほしいもの。宝物にしたいものは以下の2つ。







一つはマッターホルンのスノードーム。ひとめぼれ。
1万円くらいするようです。でもほしい。ほんとにほしい。
ずっと眺めていたいです。とても静かな気持ちになると思うんだ。
手の中にマッターホルンがあるなんてとても素敵。

そしてもうひとつ。

友だちが働いている古美術のお店で、見せてもらったお皿。
半透明で、色とりどりのお花が手で描かれているもの。
写真もきれいだけど、実物はもっと気品があって、かわいいだけではない作品だった。
こちらも10cmくらいの大きさで1万円と少し。

いつかお金を貯めて、買えたらいいなと思います。
毎日眺めるものにしたい。見ただけで気持ちが落ち着くような。
そんなものを集めたい。