2012年2月13日月曜日

ねじ梅タッシと思い出ナンセンス「とてもじゃないよ」PV公開

ねじ梅タッシと思い出ナンセンス「とてもじゃないよ」のPVが公開されました。
PV制作:橋本 聡輔さん 



何度聴いても好きな曲だー。
タッシさんの言葉は、心のどっかにすとんと入ってきて泣けるんだ。
「オラのことが好き、だなんてチミはどうかしてるよ ねえ 狂った人だね」
って私も言いたい。

amazonで購入可能です。




大学生の時からねじ梅の曲を何度聴いて、何度泣いたかわからない。
会社帰りの電車の中、水面にうつる電車の光を眺めながら、この曲を聴くのです。



「忘れられないことや 忘れられない人がいても 時間は戻らないから いくしかないんだ」
このフレーズを日々噛み締めて、振り向いても前を向こうとしてるんです。


この前、「とてもじゃないよ」のレコ発ライブに行きました。










私は大学の頃、特に1,2回生の頃は、所属していた音楽系サークルに没頭していて、
ライブハウスにばかり行っていました。多いときは週5の日とかもあった。
今は友人のライブ以外さっぱり行かなくなってしまったけど、
お酒を飲みながら音楽を聴いて、ゆらゆら揺れるのあの空間がすごく好きです。

ライブを見ながら、ふと、絵を見るのと音楽を聴くのは一緒なんだろうなと思った。
私が行くライブハウスの客層は、なんだかヒッピーみたいな服装で、お酒とタバコと性におぼれてる。
ギター1本で、世の中との摩擦や、いがいがした恋心や、孤独感を歌ってる。
それに比べて美術館やギャラリーは、白い空間でぱりっとしてるし、
服装もきちんと綺麗だったり、お上品なイメージがあった。

でも楽しみ方はきっと一緒でいいんだ。
ライブハウスによく通っていた頃、ベースの音ばかり拾おうとしたり、
音を聞き漏らさないよう神経をはったり、いろいろ試してみた。
でも辿り着いたのは、細かいことを気にせず、音や人や空間にのっかって、
ゆらゆら聴くのが一番楽しいなあということ。
音を細かく聞き込んだり、この部分は●●に似てると考えたり、
そういうのはCD等録音したものを聴いて考えればいいと思った。
ライブの時はただただ自分の感受性のみに頼って聴くのが楽しいと思った。

アートの場合、文脈を意識しないと理解できないことを知り、
作品を見るときも掲示されたコンセプトをきちんと読もうとしてる。
もちろんそれはとても大切で今後も継続するつもりだけど、
でもライブ感を忘れないようにしようと思った。
解説は、後々図録等でも読むことができる。写真を見ることもできる。
ただ、作品を前にした時の感動、音楽を聴いてゆらゆら揺れている状態は、
作品の目の前でしか得られない。
頭で理解するのみに意識を傾倒しすぎて、感性が鈍くなるのは良くないなあと実感しました。
どきどきする、とか、静かな気持ちになる、とか、水の中にいるみたい、とか、
そういう気持ちにも敏感でいたい。それを描きたい。

昨晩、久しぶりに50号のキャンバスにジェッソを塗る作業をして、
どんどん気持ちが穏やかになるのが分かった。
静かになるのが分かった。
そして膨らんでいくのが分かった。
私はこうして気持ちのバランスをとりながら生きているんだと改めて思った。
絵を描いた次の日は総じて文章がゆるゆるになるのも、何か関係しているんだろうな。
また描く日々を始めたいと思います。

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