2011年11月18日金曜日

自分の少し大事な話 前半

最近、村おこし、町おこしのことをよく考えている。
この「おこし」という言葉をあまり使いたくないけど、他にないのでこれを使います。
考えはじめると、思っていた以上に自分にとってのキーワードだったことが分かった。

考えはじめたきっかけは、川俣保さんのインタビュー記事を読んだこと。

この記事、とても良いので是非読んでほしいです。
この記事を読んでから、村おこしについて考え続けてる。

何を考えているかの前に自分の話。
長くなるけど、これを書かないと次に辿り着けない。

私は九州の人口1800人(私がいた当時なので、2010年では1600人くらいらしい)の
小さな村出身で、小学校の同級生とか私を含めて3人だった。中学校で20人。

どんな村かというと、まず標高700m。山の上。車でヘアピンカーブを登る。
名水100選に選ばれるような水源があって、水道の水はそこの水。
家の前にはたんぼが広がって、通学路に牛舎があって、鶏の声に朝起こされて、
村民放送でラジオ体操が流れて、ポストが丸い。
民宿があって、干し柿が吊るされてあって、ハウス栽培でトマトやちんげん菜が育ってる。
家の隣の川にカワセミがいる。フクロウもいる。キツネもいる。
イノシシが出ると、「イノシシ駆除隊の皆さんは〜に集合」みたいな村民放送が流れる。
5月になると、ものすごく大きな、龍みたいな鯉のぼりがあちこちで空を泳いでる。
冬は水道が凍ると爆発するので、常に水をちょっぴり出しておかなきゃいけない。
冷蔵庫より廊下の方が寒い。大根凍る。枕元に置いてたシクラメンが凍った。
車がないとどこにも行けない。最寄り駅まで車で25〜30分。

なんか書きながらセンチメンタルな気分だけど、書く。私はそんなとこで育ったんです。
私はその村に自分から住みたいと言ったのです。元々の実家がそこという訳ではない。
私が住みたいと言ったから、そこに住むことになったのです。
去年くらいにふと、自分の絵はあの場所で育たなかったら描けなかったことに気がついた。
最近、日本人として制作する上でのアイデンティティってなんだろうと考えていて、
「日本」と考えるとまだピンとこないけど、「村」を思い出したらそこに私のアイデンティティがあると思った。

でもこれからは都会に住むだろうと確信してる。
確信の8割方は車の免許を今までもこれからも取得することはないという理由から。
自分の性格と能力を照らし合わせて、無理ですと判断しました。悲しいです。

重要なのは残りの2割。
村の景色が染み付いているはずなのに、私はあまりその話をすることはないし、
結構特殊な体験(蜂を食べたとか、鶏の産卵を毎日間近で見てたとか)をしてることを
アイデンティティとして前面に押し出してこなかった。

それは自分の中に少しだけ、あの場から逃げた感覚があるからだと思う。

私が都会に住むのは、都会の隣人に対して一切干渉しない環境に依存してるから。
田舎コミュニケーションは、玄関は開けておく。誰かが当然のように入ってくる。物理的にもそうだし、精神的にもそう。
きっとそうでないと暮らしていけない環境が、昔からそこにあるからだと思う。
道の草刈りとか、冠婚葬祭とか、みんなでしなくちゃ暮らしていけないから、全員でする。
そんなコミュニケーションが苦手で、それから逃げて、都会に住んでると自分では感じてる。
村のことを思い出すと、罪悪感がどっしりくる。好きなだけに苦しい。
だから村おこしのこととか、敢えて考えるのを避けてたと思う。でもその単語は普通の人よりなじみ深い。

上の記事を読んで、今の私だからこそ出来ることがもしかしたらあるんじゃないか、と考えるようになった。
村おこし、町おこしって、カフェやお店を開店したり、イベントを計画したり、することではない。
もしそれが流行って、長期で続いたら結果的に村おこしに繋がることもあるけど、
単発で行ったら何の意味も無い。これは実際に良い例も悪い例も見てきて思う。
うちの村には、良い例が少ない気がしてたけど、これは後者の単発的なものが多かったからだと思った。
「村」を「おこす」のではなく「村」を「村と」「育てる」必要があり、その「村」は「村民」と言い換えられる。
そんな計画を立てなくてはいけないんじゃないかと考えました。
後半に続きます。

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