ここ最近、悶々と悩んでいたこと。
解決した訳ではないけど、一度思考の整理をしようと思う。
自分が、「仕事をしながら制作をしている」ということに、
ある種のコンプレックスや焦りを抱いている。
どちらも中途半端になるのではないかという畏れ。
覚悟を決めることができない劣等感。
アートフェア東京やアート台北、その他たくさんの展示、美術手帖等アートの本、
周りにいる、アートに生きる人たち。
覚悟を決めて、制作に生きる人たち。
そんな人たちや作品を見ていて、自分の宙ぶらりんな立場や意識を情けなく感じていた。
制作で生きる、なんて言いきれる自信も実力も明確なプランも何もないのに、
意識がアートに向きがちで、これで本当にいいのかと悶々としていました。
もっと仕事に身をいれなくては、と焦る反面、
制作がしたいという欲求、ファインアートをもっと勉強したいという欲求を抑えられない。
そんな状況で、いろんな人と話をした。
映画監督になる、と覚悟を決めた先輩の話を聴いた。
やるしかない、と覚悟を決めた人の話は熱い。
慎重に後ろを振り返りながら、なんて一切せず、前しか見てない人の話。
20代にしかできない可能性を感じた。応援したいと思った。
私の大好きな絵を描く人には、
したいと思ってることは、したいと思ってるうちにしたらいい、と
今の状況を後押ししてもらった。
仕事もしたいなら、仕事も頑張ればいいし、
制作したいなら、制作すればいい、って言ってもらえた。
いつか描きたいと思う気持ちがなくなることだってあるのだから、と。
このときは、特に仕事しながら制作をしていることに対して、
社会人としてこれでいいのか、と不安を抱いていたときだったから、
すごく救われた言葉だった。元気が出た。
前向きに考えるきっかけになった。
友人とも話していて、教えてもらった言葉の中に、
覚悟が決まった人の作品と、覚悟を決められてない人の作品は深みが違う、
とあって、きっとそれは正しいと思った。
今の私に足りない覚悟、それしかないと決めた人の決意は、制作に必ず反映される。
尊敬してる人からは、
頑張ってれば、どっかで道が開けるものだよ と言われた。
今、自分の中ではっきりしているのは、
何の保証もない状態で、覚悟決めた!と生活を変えるのは阿呆だということ。
そうではなく、もっと計画性を持ちたい。
昨日友人とも話したけれど、
大切なのは、「最終的にどうなりたいか」を明確化することだと思う。
どうなりたいのかを決めることができれば、
逆算して具体的な行動目標や予定を立てることができる。
私はまだそこがあやふやで、どう動けばいいのかが分からない。
だから、まずはそこから考えよう と思っている。
尊敬している人の、頑張ってたらいつかどっかで何かとつながるって言葉は
これと相反しているけど、この先変更することがあったとしても、
まず今の段階での最終目標を決めようと思った。
最終的な目標は未定だけど、制作の面では一つ大きな目標を持っているので、
それに向けて動きたい。
少し話を戻すと、
何も保証がない状態で覚悟は決められない
→保証、もっと具体的に言うと、自分の作品を扱ってくれるマザーギャラリーを見つけたい
→見せる作品があまりない、大きい作品がない
→作ろう
結局、作りたいと思った。
ただ作るのではなく、目標に向かって効率よく進める制作をしたい。
私の部屋で描くには、10号のキャンパスが限界で、フラストレーションが溜まる一方。
アトリエをシェアしたいと本気で考えています。
そうなると、旅行だってきっとしにくくなるし、
貯金も難しいかもしれない。
洋服も買えない(今だってほとんど買わないけど)
画材と本にかけて、プチ贅沢なんてやめて、没頭する。
それが今の私の小さな、精一杯の覚悟だと認めて、アトリエシェアできる仲間を捜そうと思う。
それに油絵を描く友人が少ないので、増やしたい。
油を全然使いこなせていなくて歯がゆい。油の話ができる友人がほしい。
最終的にどうなりたいか、はまだ模索を続けてるけど、
なにを描きたいか、はようやく言語化できるようになりました。
もっと自分の深いところを、素直に表現できるよう、
自分の人間性を高めつつ、良い制作ができればと思っています。
そしてもちろん仕事もきちんと頑張りたい。
両立は難しいけれど、当面は両立する、という覚悟を決めて、頑張りたいと思います。
そんな話でした。
今週末は横浜いく! 横浜トリエンナーレにいってきます!
たのしみー! ダミアン・ハーストの作品が非常にたのしみです!
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