2011年9月20日火曜日

fine

ここ最近、悶々と悩んでいたこと。
解決した訳ではないけど、一度思考の整理をしようと思う。

自分が、「仕事をしながら制作をしている」ということに、
ある種のコンプレックスや焦りを抱いている。
どちらも中途半端になるのではないかという畏れ。
覚悟を決めることができない劣等感。

アートフェア東京やアート台北、その他たくさんの展示、美術手帖等アートの本、
周りにいる、アートに生きる人たち。
覚悟を決めて、制作に生きる人たち。
そんな人たちや作品を見ていて、自分の宙ぶらりんな立場や意識を情けなく感じていた。

制作で生きる、なんて言いきれる自信も実力も明確なプランも何もないのに、
意識がアートに向きがちで、これで本当にいいのかと悶々としていました。
もっと仕事に身をいれなくては、と焦る反面、
制作がしたいという欲求、ファインアートをもっと勉強したいという欲求を抑えられない。

そんな状況で、いろんな人と話をした。

映画監督になる、と覚悟を決めた先輩の話を聴いた。
やるしかない、と覚悟を決めた人の話は熱い。
慎重に後ろを振り返りながら、なんて一切せず、前しか見てない人の話。
20代にしかできない可能性を感じた。応援したいと思った。

私の大好きな絵を描く人には、
したいと思ってることは、したいと思ってるうちにしたらいい、と
今の状況を後押ししてもらった。
仕事もしたいなら、仕事も頑張ればいいし、
制作したいなら、制作すればいい、って言ってもらえた。
いつか描きたいと思う気持ちがなくなることだってあるのだから、と。
このときは、特に仕事しながら制作をしていることに対して、
社会人としてこれでいいのか、と不安を抱いていたときだったから、
すごく救われた言葉だった。元気が出た。
前向きに考えるきっかけになった。

友人とも話していて、教えてもらった言葉の中に、
覚悟が決まった人の作品と、覚悟を決められてない人の作品は深みが違う、
とあって、きっとそれは正しいと思った。
今の私に足りない覚悟、それしかないと決めた人の決意は、制作に必ず反映される。

尊敬してる人からは、
頑張ってれば、どっかで道が開けるものだよ と言われた。

今、自分の中ではっきりしているのは、
何の保証もない状態で、覚悟決めた!と生活を変えるのは阿呆だということ。
そうではなく、もっと計画性を持ちたい。

昨日友人とも話したけれど、
大切なのは、「最終的にどうなりたいか」を明確化することだと思う。
どうなりたいのかを決めることができれば、
逆算して具体的な行動目標や予定を立てることができる。

私はまだそこがあやふやで、どう動けばいいのかが分からない。
だから、まずはそこから考えよう と思っている。
尊敬している人の、頑張ってたらいつかどっかで何かとつながるって言葉は
これと相反しているけど、この先変更することがあったとしても、
まず今の段階での最終目標を決めようと思った。

最終的な目標は未定だけど、制作の面では一つ大きな目標を持っているので、
それに向けて動きたい。

少し話を戻すと、

何も保証がない状態で覚悟は決められない
→保証、もっと具体的に言うと、自分の作品を扱ってくれるマザーギャラリーを見つけたい
→見せる作品があまりない、大きい作品がない
→作ろう

結局、作りたいと思った。
ただ作るのではなく、目標に向かって効率よく進める制作をしたい。
私の部屋で描くには、10号のキャンパスが限界で、フラストレーションが溜まる一方。
アトリエをシェアしたいと本気で考えています。
そうなると、旅行だってきっとしにくくなるし、
貯金も難しいかもしれない。
洋服も買えない(今だってほとんど買わないけど)
画材と本にかけて、プチ贅沢なんてやめて、没頭する。
それが今の私の小さな、精一杯の覚悟だと認めて、アトリエシェアできる仲間を捜そうと思う。
それに油絵を描く友人が少ないので、増やしたい。
油を全然使いこなせていなくて歯がゆい。油の話ができる友人がほしい。

最終的にどうなりたいか、はまだ模索を続けてるけど、
なにを描きたいか、はようやく言語化できるようになりました。
もっと自分の深いところを、素直に表現できるよう、
自分の人間性を高めつつ、良い制作ができればと思っています。
そしてもちろん仕事もきちんと頑張りたい。
両立は難しいけれど、当面は両立する、という覚悟を決めて、頑張りたいと思います。

そんな話でした。
今週末は横浜いく! 横浜トリエンナーレにいってきます!
たのしみー! ダミアン・ハーストの作品が非常にたのしみです!

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