2011年10月14日金曜日

色っぽい色を塗る


大学では、社会学を専攻していたのですが、
全然勉強せずハッピーな日々を過ごしていたので、最近改めて勉強しなおしているところです。
身の程知らずなことを堂々と言うけれど、日本だけでなく、世界を視野に描いていきたい。
最終ゴールはそこに置きたい、と最近思うようになりました。
国際展やフェアや、そんなところで展示されるような作家になりたい。
(大きな目標を掲げて、豆腐メンタルぷるぷるしてる)

そうなると、日本人であるというアイデンティティをもっと意識した作品を作らなくてはいけないと思う。
どこの国で育ったのかということ、その国だから見える視点をもっと研ぎすましたい。
テロや人種差別、アメリカ国債、セクシャルマイノリティ、311、原発問題、
自分が今、どんな時代に生きているかを、もっと叩き込みたい。
リアリティを持った作品作りを心がけたい。
「バナナの日本人」という言葉を最近知った。表は黄色いけど、中身は西欧に迎合して白い。
西欧の芸術史にコミットメントすることと、日本人としてのリアリティを持つ、ということ。
うーん もっと突き詰めて考えなくちゃ。

そして長生きする作品を作りたい、とも思う。
同時代でハイコンテクストを共有するだけの作品にはしたくない。

コンテクストは、将来なくなる、共有できなくなるって話を
最近聞いたけど、それって当然じゃないのかな。
将来に限らず、同時代であったとしても、地域によって、文化圏によって
知らなければ共有できないのは当然のことだと思う。

文豪の作品を読んでも、その時代特有が故に読み解けないコンテクストはたくさんある。
勉強すればする程、より深く楽しめる。
文学作品の中で、この言葉は実はこんな皮肉をこめた冗談だったのか、と知ればもっとおもしろく読める。
もっと簡単にいうと、アメリカ映画の中で、別の映画のパロディがちりばめられていても、
映画をあまり見ない人(私みたいな)にはさっぱり分からない。
でも詳しい人は私の隣で爆笑してる。
ハイコンテクストってそういうことだと思う。

アートを見るということも、そういうことってのは最近分かってきた。
知れば知る程、時代や文化や社会を理解すればする程、アートは楽しめる。
「怖い絵」って本が売れているけど、一見して怖くない絵でも、意味を知れば怖いということ。

でも、今回言っている「長生きする作品」ってのはそれをもう一歩踏み越えたもの、な気がする。

すごく矛盾しているけど、「ぐっとくる」作品。
言葉じゃなくても、コンテクストを共有できる作品。
コミュニケーションが取れる作品。

結局それは、作家の人間性に由来すると思う。
どんな人間か、ということが作品には必ず表れる。

人間力を身につけよう。
社会のことを勉強して、時代のリアリティを持ちたいし、
おいしいごはんを食べて、おいしいお酒を飲んで、自分を充実させたいし、
いい映画を見たいし、素敵な音楽を聴きたいし、おもしろい小説を読みたい。
友だちと笑いあいたいし、いい恋をしたい。失恋だって糧になる。
夕焼け見ながら散歩をしたいし、流れ星を探しながら缶コーヒーを飲みたい。
好きなことや、経験を増やしていきたい。
きちんとした生活を心がけたい。
コミュニケーションを追究し続けたい。

きっとそういうことだと、思った。
自分の人間性を高めたい。
もっと、もっと色んなことに精通した人間になりたい。
貪欲にコミュニケーションを取り続けていこう。
他人からしか学べないのだ。
自分ひとりじゃ、何も生みだせない。

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最近は、初めての20号に挑戦しています。本当はもっと大きいのが描きたい。50とか、100とか。
アトリエ借りたい、と悶々しています。だれかアトリエシェアできる人いないかなあ。

この前の作品は、初めてコンセプトを掲示しましたが、
これからは、掲示することはしないと思います。
今まで、コンセプトを自分の中でも明確にせず制作していたので、
前回はそれを言語化するための習作でした。
これからは掲示しなくても、自分の中でコンセプトを打ち立てて、制作していきたいと思います。
受け取り方は、見る人の感情のどこにリンクするかによって、
全く違うものになるだろうし、それがアートの楽しみ方の一つでもあると思う。

ひさびさに展示に参加して、生で絵を見ていただきたいので、頑張って描きます。



こないだ友だちと鴨川でだらだらビールを飲んだ時の空。
横トリの広報の色に似ててドキドキした。

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