2011年12月11日日曜日

月食とブルーモスクはよく似合う

TRANSITのトークイベントに行ってきました。
今回のTRANSITはトルコ号。ブルーモスクが表紙です。
トルコは行きたくてたまらない国の一つ。いつか行くと思います。

イベントは、トルコ取材での写真をスライドで紹介しながら、
編集長とカメラマンがおしゃべりする形式でした。
好きな雑誌なのだけど、今の日本でこんな雑誌、他にないんだろうなと思った。
国を決めて、編集者(兼ライター)とカメラマン5名くらいが現地に赴き、各々取材や撮影をしてまわるらしい。
現地取材の計画書を出発前日に提出して、現地で決めながら撮影するカメラマンもいるらしい。
カメラマンも編集者も、独自の視点と拘りがかなり強い印象でした。
今時これ程好き勝手してる(ように見える)雑誌ってなかなか無さそう。
ずっと続いて欲しいなあ。

どの話もおもしろかったけれど、特に印象的だった話はふたつ。

ひとつは、わずか17年前に発見された「ギョベクリ・テペ」という遺跡の話。
この遺跡は、これまで最古とされてきた9500年前のシュメールを2000年上回る
1万5000年前のものということが判明し、
さらに驚く事には、その神殿の周囲には人々の定住の痕跡や、階級の痕跡が発見されなかったらしい。
つまりこれは、「人類の歴史が農耕よりも先に、狩猟民による宗教が存在した事を示唆して」いるらしいです。
(TRANSIT p.116より引用)
これは今まで考えられていた人類が定住とともに精神文化を発達させたとされている説を
覆してしまう大発見になるらしい。

とてもおもしろかった。
精神文化が発達していないとされていた農耕以前の狩猟の時代に宗教が存在していたとするなら、
人間ってなんだろう、動物との違いってなんだろうと考えたときに、
「祈り」は一つのキーワードになるのではないだろうか。
道具を使う、火を使う、言葉を使う、これらも人間の特性ではあるけれど、
道具や言葉は類人猿やイルカも使用する。火だっていつか克服するかもしれない。
「祈る」ことは「人類」の精神文化の起源といえるのではないだろうか。
今日は長電話をして、古代のアテネやスパルタ、ローマといった古代文明の話を
たくさん聞いて(私は無知なので頷いてるだけ)、
今週末は思考がタイムトラベルしているようでした。

もうひとつ、おもしろかった話は、フィリピン奥地のかなり変わった葬祭方式の話。
垂直に切り立った崖に棺桶を吊るす?か何かで、その上に十字架がぽんと横向きで立てかけられてる。
崖に何個も棺桶がくっついてる光景はかなり異質だった。
そんな形式をとるのは、世界中でもそこくらいらしいけど、
カメラマンの方の発言で、「死にまつわる儀式は、どこでも真剣でごまかしがない」という言葉がすごく印象的。
結婚式をはじめお祝いはどこでも似たような雰囲気があるらしいけど、
葬儀はそれぞれの地で全く違い、そしてどこでも真剣らしい。

この話がとても面白くて、世界の葬儀や墓について調べてみたいなと思った。
「どこでも真剣でごまかしがない」のは、生きる人の死に対する恐怖心が表れているからではないだろうか。

「祈り」はきっと根本的には「死」への恐怖を和らげるためのものだと思う。
プラスの幸せを生み出すよりは、マイナスを埋めるために宗教や祈りが存在していると考えてる。

動物は、死への恐怖を感じているのだろうか。
恐怖は感じるだろうし、子孫を残すための生存本能はあるだろうけど、
死を思い、恐れることはあるんだろうか。

「恐怖」は創造にどう関わりを持っているのだろうか、と考えています。

昨日、トークイベントの後、お酒を飲んでライブペイントをさせてもらう機会があって、
人の筆致と自分の筆致を見比べて、自分のものは如何に怯えているか、縮こまっているか理解した。
堂々と自信を持って、のびやかな線を描いてみたい。
初めての経験で、とても刺激的でした。
自分の弱さや、堅さ、恐怖心、すべて筆を通して表れる。
今の私を知るには、今の私の絵を見るのが一番いい。
最近鮫島さんとも話してたことだけど、改めて実感した。自分の弱さを楽しく感じた。
私の中に強く根付く恐怖心をどうすれば払拭させることができるんだろう。
そしてその時、一体私は何を創るんだろうか。


自分の頭の悪さ、回転の遅さに唇かんで涙を飲む日々です。追いつきたい人がたくさんいる。
2週間ほど読書を休んでいましたが、明日の通勤電車から再開しようと思います。

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