2011年8月12日金曜日

夜がふけたら黒い犬とないしょの話

最近読んでいる『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)』が
分かり易くて非常におもしろい。
先日ちらりと書いた、「現代アートの楽しみ方を知った気がする」の話も含めてここに記載。

■まずは絵を「観る」ことの話

先日東京で行った名和さんの展示形態がとても印象的で、
一周目は何の資料も無い状態で作品を鑑賞させ、
一周目の終わりに各々の作品の概要を書いたリーフレットを配布、
それを読みながら、もう一周することでより深い作品への理解を促すというものでした。

一周目で自分が作品から受けた印象と、リーフレットの説明が似ていた時の喜びや、
二週目にリーフレットを見ることで、初めて作品を理解できたと実感したことを、鮮やかに記憶している。

この展示を見て、1年間自分がどれほど勉強させてもらえたのかを実感しました。

1年前の私のアートに対する考え方は、
「見て好きになった作品のみを楽しむもの」であって、
「作品を理解して楽しむもの」ではありませんでした。
見て分からない作品を好きになる、という感覚がなかった。

それをいうと、コンテンポラリーアートなんて、一目では分からない作品ばかりで、
時折その中に、好きな色合いや風合いのものがあり、
それだけをぼんやりと楽しむのが自分にとってのアート鑑賞でした。

それが昨年からの1年間、
主にtwitterでギャラリストやキュレーターの方々の発言を追い続け、
直接や配信動画でもお話を伺って、
自分がいかに何も考えず、何も学ばず、作品を鑑賞していたか実感した。
今まで行った展覧会で、いかにもったいないことをしていたか痛感した。
1年間かけて少しずつ。

最初に目が覚めたのは、
「作家の努力の結果の作品を、鑑賞者が何の努力も無しに見るのは間違っている」という言葉。
(本当はもっと明確な言葉で、あくまでニュアンスです…)
自分が見る側に立った時、いかに受け身で作品を見ていたか、この言葉でまず目が覚めた。

「キュレーションの時代」にも、その概念を分かり易く説明してある。
特に残ったのは、禅の教え「主客一体」のくだり。

以下引用(『キュレーションの時代 「つながり」の情報革命が始まる (ちくま新書)』p.158)
「主客一体」という言葉があります。(略)
招く側(ホスト)と招かれる側(ゲスト)が協力し、
ともに一体となってつくりあげるものであるという意味です。
そこではホストとゲストの間に、その場で生み出される芸術に対する共鳴がなくてはならない。


村上隆さんが、hidari-zingaroの日本画ZERO展によせられた感想も印象的。

引用(原文はこちら:展覧会を観て 2011年5月3日:村上隆(5月4日加筆)
描く方にも問題があるけれども鑑賞者にも深みは無い。
もう少し芸術の楽しみ方、踏み込んでくれないかなぁと思いますよ。


1年前はよく分からなかった、この訴えかけをようやく理解できたと実感したのが、
この前の東京で行った、名和さんを始めとする幾つかの展示でした。

村上さんのおっしゃる「楽しみ方」自体にはまだまだ踏み込めてるとは思いません。
そうじゃなくて、それより前の段階、「自分には深みがない」ことにようやく気がつけたのです。
恥ずかしい話ですが。でも気がつけて嬉しかった。
見る目を肥やすために、たくさん勉強したいなと思いました。

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「観る話」だけで、長くなってしまった。
「描く話」も書きたかったのだけど、それは次回にまわします。

明日からお盆休みで里帰り!
真夏の草原を、水源を、天の川が分からなくなるくらい大量の星を満喫してきます。
カラシ蓮根と、馬刺と、おいしい地酒を買ってこよう〜
みんなの地元の特産品、名物ばかりを持ち寄って、「地元自慢食パーティ」を開きたい!
なかなかの名案だと思うのだけど。フフン!
名物に上手いもんなし、なんて言うけれど、それはきっと時代遅れ!
おいしいものたくさんあると思うんだ。食べたいなあ。おいしいお酒飲みたいなあ。

みなさん良い夏休みをお過ごしください。
帰ってきたら、地元の写真をアップします。

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