2011年11月21日月曜日

萬福寺芸術祭に行きました

萬福寺芸術祭に行ってきました。










土曜日は雨でしたが日曜日は快晴で、とても気持ちよかったです。
昨年は行けなかったのですが、今年は作品も出展させていただけて、楽しみにしていました。

高木正勝さんの作品をお寺の門の上で見れたのが嬉しかったな。
展示されてる作品もどれも素敵でした。

広いお寺の隅々まで、スタッフの気持ちがこもってるのが分かる展示でした。
すごく素敵だった。スタッフもお客さんも、みんな楽しそうだったな。
出展させていただけて、改めてありがたかったです。
来年もきっと行こう。

出展させていただいた作品は、
サイトpixivに掲載しています。
是非見ていただけたら嬉しいです。

2011年11月18日金曜日

自分の少し大事な話 後半



後半

長いので一区切り。
前半から読んでください

「村おこし」は「村」を「おこす」ではなく「村民」と「育てる」必要があると考えました。
だけど私は今まで、村おこしなんて考えたこともなかった。敢えて避けてきた。
なので具体的な行動を、どう考え始めたらいいのかさっぱり分からない。

最近読んだ原研哉さんの「デザインのデザイン」にそのヒントになりそうな記述があったので、少し長いけど引用する。

未来のヴィジョンに関与する立場にある人は「にぎわい」を計画するという発想をそろそろやめたほうがいい。
「町おこし」などという言葉がかつて言い交わされたことがあるがそういうことで「おこされた」町は無惨である。
町はおこされておきるものではない。その魅力はひとえにそのたたずまいである。
おこすのではなく、むしろ静けさと成熟に本気で向き合い、それが成就した後にも「情報発信」などしないで、
それを森の奥や湯気の向こうにひっそりと置いておけばいい。
優れたものは必ず発見される。「たたずまい」とはそのような力であり、
それがコミュニケーションの大きな資源となるはずである。
原研哉『デザインのデザイン』岩崎書店 2003年10月発行

前半冒頭で紹介した、川俣さんのインタビューには、

そんなに簡単に町おこしが出来るわけがない。町おこしのための町おこしが、
結果としてまったく町おこしになっていないという例をいくつも見ています。
結局は、人がどうやって繋がっていくのかということでしかないのに、
経済などの観点からいろいろなイベントを組んでも、一過性のアイディアでは将来に繋がらないです。
もう少し長いスパンで付き合っていかなければ、イベントで人を呼んで町が起こるというのはありえないと身にしみて感じています。(略)
もっと根本的なところから町や人に関わっていかないと変わらないと思いますし、
経済的なものだけではなく、教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるかであったり、
もっと地味な繋がり、コミュニティと接していかないとなかなか結果は出ないと思います。

とある。

私は、川俣さんのいう「人がどうやって繋がっていくのかということでしかない」
「教育であったり、実際に住民とどのあたりまで繋がるか」に着目して考えたい。
これがきっと一番難しいし、私が苦手として逃げ出した部分でもある。

農家の人は毎日ほんとに忙しい。朝4時くらいから起きてる。
一日中、寒かったり暑かったり重かったり冷たかったり、私じゃ1時間で音を上げそうな、そんな仕事をしてる。
牛相手じゃお休みだってとれない。
そんな人に、一時的にアート作品を見せるとか、村にアート作品を置くとか、そんなことしたって何もならないと思う。
小学校で1日だけ、○○に絵を描くなんて授業をしたって、村を育てるにはならない。
もっと生活になじむコミュニケーションを考えたい。

例えば(今考えながら書いてるから大したアイデア出てないです)、
椎茸の苗木が黒いカバーをかけられてずらっと並ぶのだけど、そのカバーをもっと美しくできないか、とか…?
並べ方を美しく出来ないかとか?
牧草ロールをもっと美しくできないかとか?
牧場の牛にはおうちの名前が書いてあってそれはそれで可愛いけど、
もっと別のアイコンを考えることはできないかとか?
丸太の並べ方を変えたら美しくならないかとか?
こんな小さなことだけではなく、川俣さんのプロジェクトのように大きなスケールで考えてみたい。
全くの白紙の状態だけど、永続的に続けられることを考えてみたい。

私のアイデンティティがそこにあると分かった以上、これ以上コミュニケーションを逃げたくないのだ。
頭の中で考えているだけにせよ、その地と向き合うことが、自分と向きあうことでもあると気がついたように思う。
村と人と表現を通してコミュニケーションをとる、もしくはコミュニケーションを通して表現する、
どちらにせよ、今まで逃げてきて「どこにでもない場所」にいる感覚だった私には、不慣れなことでびくびくしてるけど少し嬉しい。

当面は今のこの場所で、あの場所を滲ませながら絵を描くしかできないけど
私が育ったのはあの村だというアイデンティティを確信した以上、それを発信していきたいと思う。
そして今の、これからの私に出来ることを、もっと考えていきたい。

自分の少し大事な話 前半

最近、村おこし、町おこしのことをよく考えている。
この「おこし」という言葉をあまり使いたくないけど、他にないのでこれを使います。
考えはじめると、思っていた以上に自分にとってのキーワードだったことが分かった。

考えはじめたきっかけは、川俣保さんのインタビュー記事を読んだこと。

この記事、とても良いので是非読んでほしいです。
この記事を読んでから、村おこしについて考え続けてる。

何を考えているかの前に自分の話。
長くなるけど、これを書かないと次に辿り着けない。

私は九州の人口1800人(私がいた当時なので、2010年では1600人くらいらしい)の
小さな村出身で、小学校の同級生とか私を含めて3人だった。中学校で20人。

どんな村かというと、まず標高700m。山の上。車でヘアピンカーブを登る。
名水100選に選ばれるような水源があって、水道の水はそこの水。
家の前にはたんぼが広がって、通学路に牛舎があって、鶏の声に朝起こされて、
村民放送でラジオ体操が流れて、ポストが丸い。
民宿があって、干し柿が吊るされてあって、ハウス栽培でトマトやちんげん菜が育ってる。
家の隣の川にカワセミがいる。フクロウもいる。キツネもいる。
イノシシが出ると、「イノシシ駆除隊の皆さんは〜に集合」みたいな村民放送が流れる。
5月になると、ものすごく大きな、龍みたいな鯉のぼりがあちこちで空を泳いでる。
冬は水道が凍ると爆発するので、常に水をちょっぴり出しておかなきゃいけない。
冷蔵庫より廊下の方が寒い。大根凍る。枕元に置いてたシクラメンが凍った。
車がないとどこにも行けない。最寄り駅まで車で25〜30分。

なんか書きながらセンチメンタルな気分だけど、書く。私はそんなとこで育ったんです。
私はその村に自分から住みたいと言ったのです。元々の実家がそこという訳ではない。
私が住みたいと言ったから、そこに住むことになったのです。
去年くらいにふと、自分の絵はあの場所で育たなかったら描けなかったことに気がついた。
最近、日本人として制作する上でのアイデンティティってなんだろうと考えていて、
「日本」と考えるとまだピンとこないけど、「村」を思い出したらそこに私のアイデンティティがあると思った。

でもこれからは都会に住むだろうと確信してる。
確信の8割方は車の免許を今までもこれからも取得することはないという理由から。
自分の性格と能力を照らし合わせて、無理ですと判断しました。悲しいです。

重要なのは残りの2割。
村の景色が染み付いているはずなのに、私はあまりその話をすることはないし、
結構特殊な体験(蜂を食べたとか、鶏の産卵を毎日間近で見てたとか)をしてることを
アイデンティティとして前面に押し出してこなかった。

それは自分の中に少しだけ、あの場から逃げた感覚があるからだと思う。

私が都会に住むのは、都会の隣人に対して一切干渉しない環境に依存してるから。
田舎コミュニケーションは、玄関は開けておく。誰かが当然のように入ってくる。物理的にもそうだし、精神的にもそう。
きっとそうでないと暮らしていけない環境が、昔からそこにあるからだと思う。
道の草刈りとか、冠婚葬祭とか、みんなでしなくちゃ暮らしていけないから、全員でする。
そんなコミュニケーションが苦手で、それから逃げて、都会に住んでると自分では感じてる。
村のことを思い出すと、罪悪感がどっしりくる。好きなだけに苦しい。
だから村おこしのこととか、敢えて考えるのを避けてたと思う。でもその単語は普通の人よりなじみ深い。

上の記事を読んで、今の私だからこそ出来ることがもしかしたらあるんじゃないか、と考えるようになった。
村おこし、町おこしって、カフェやお店を開店したり、イベントを計画したり、することではない。
もしそれが流行って、長期で続いたら結果的に村おこしに繋がることもあるけど、
単発で行ったら何の意味も無い。これは実際に良い例も悪い例も見てきて思う。
うちの村には、良い例が少ない気がしてたけど、これは後者の単発的なものが多かったからだと思った。
「村」を「おこす」のではなく「村」を「村と」「育てる」必要があり、その「村」は「村民」と言い換えられる。
そんな計画を立てなくてはいけないんじゃないかと考えました。
後半に続きます。

2011年11月11日金曜日

キャンバスに私を閉じ込めるということ

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参加予定
「萬福寺芸術祭ーENー」
2011.11.19[sat]-20[sun] 12:00-19:00
会場|黄檗宗大本山萬福寺

詳細は一つ前の記事に記載しています
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昨日読んだ、宮島達夫さんのこの言葉がとても良かった。

自分の中に生じていた違和感。
言葉が大切だということはよく分かる、
でも作品のコンセプトをはっきり完璧に言いあげることができれば、
そもそも自分が作品を作っていただろうかという違和感。
でも言葉って大切だと思う矛盾。
「言葉が大事」という認識と「絵画で表す理由」のバランスを巧くとることが出来なかった。

この小さな矛盾と違和感を払拭してもらえたように思う。

言葉にするのが大切なのは、一つ一つの絵の説明ではなく全体を通した世界観。自分の指標。
何を作りたいのか、
何を考えているのか、
どう生きてきたのか、
どう生きていきたいのか、
誰を、なぜ好きなのか、
私の世界は一体どんな世界なのか。

私がどんな世界観を持っているか、徐々に固まってきたように思う。
今のところキーになっているのは「全」と「線」、あやふやなのは「点」。
全ては繋がっているということ。「点」は「一」とも「個」とも「今この瞬間」とも言い換えられる。
線の上の「点」をこれから詰めていきたい。

こうして考えれば考える程、絵を描くって難しいと感じてる。
自分に渦巻く考えがどんなことを言っているか、ようやく掴めつつあるというのに、
それをどうキャンバスの上に落とし込めばいいのだろうか。
この考えが何色なのか、どんな形をしているのか、格闘しなくてはならない。
落とし込むというより、流し込むの方がイメージとしては近い。あくまでもニュアンスの話だけど。
創るってこんなに難しいことだったのか。
でも創りたくてしょうがない。私の世界を形にしたい。

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明日は、岐阜県美術館所蔵 ルドンとその周辺ー夢見る世紀末展に行こうと思います。とても楽しみ!
ルドンを見るのはおそらく初めて。あの独特な空間を醸し出す色使いをゆっくり見てきたいです。
あと、最近興味が薄れてきていたけど、印象派、
コローとドガが見たいな、と思った。ドガは生で見たらきっと綺麗だと思う。
あとセザンヌもちょっと楽しみ。すごく混んでるだろうかから、早起きして行こう。
そしてANTEROOM KYOTOで、「超京都名和晃平さんキュレーションという、すごく楽しみな企画展!
明日はゆっくり本を読もうなんて思っていたのですが、1日中動き回ることになりそうです。楽しみ。

2011年11月7日月曜日

ブログ移転しました/展示のお知らせ


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久しぶりに展示に参加します!

「萬福寺芸術祭ーENー」
2011.11.19[sat]-20[sun] 12:00-19:00
会場|黄檗宗大本山萬福寺

アクセス等、詳細はこちら
オープニング映像がきれいです。

今回は2点、既存の作品1点と新作1点を展示販売させていただきます。
既存の作品はこちら



新作はイベント後にwebにアップします。

展示をさせていただくのは、半年以上ぶり。
久しぶりに絵を直接見ていただける機会をいただけて、とても嬉しいです。
萬福寺自体がとても素敵なお寺のようです。
ぜひ京都の秋を楽しみながら、芸術に触れられるこの期間に
「萬福寺芸術祭ーENー」にいらしてもらえればと思います。

ちなみに19日同イベントで大学からの友人、ナキミソがライブをするそうです。
彼女は、今公開中の映画「モテキ」にも本人アーティストとして出演しているので、
ぜひそちらもチェックしてください。

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ブログを移転しました。過去ブログはこちら
1年分くらい、記事は移行させました。
今までのブログは、なんだかんだ3年半くらい続いていて、
愛着もあったのですが、twitterやfacebook、google+等、
SNSとの連携がこちらの方が便利そうだったので、移転しました。
そのうちサイトもドメインを取得して、きちんと作ろうと思います。
新しいブログはまだ手探りの状態なので、表示等おかしいところがあれば教えてください。

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先週は、3大学の学祭に行ってきました。

一つ目は、母校精華大学の学祭。
毎年、自分たちが作っていたサークル恒例のライブハウス、
今年も後輩たちが今年なりの工夫をして作っていて、
同期や先輩たちが帰ってきていて、一年に一度の当時の気分に戻れる素敵な日でした。

三つ目は昨日、京都市立芸大の学祭に行ってきました。
初めて京芸行ってきた。桂駅からバスで20分。

そこでひでつう先生(twitter @Hidetwo)の講演を聞いてきました。
ひでつう先生のツイートやブログが元々とても好きなので、今回初めてお話を伺えて嬉しかったです。
求められていることをする、という話が、新しい視点だった。
つまらなくても、おもしろくても、その時求められていることをする。
あまりこのこと意識していなかった気がする。覚えておこう。

講演会の様子

自己ブランディングする為の具体的な方法の話も分かり易かったし、
目標や、現状を可視化する話もおもしろかった。
数年先のカレンダーを埋める作業、早速挑戦してみよう。
ひでつう先生、今度はお酒飲みながらお話聴いてみたいなあ…


先日、別のところで聞いた、自分のアンチがほしいって意見に先日ぐらぐらきた。
嫌われるという自己ブランディング。
私は、どちらかというと、素直に好きと言ってもらえる作品を作りたいけど、
私の絵を好きな人もいれば、嫌いな人もいる、ということをもっとはっきりさせなくてはいけない気がする。
誰からも「嫌われない」作品づくりになってはいないか。
イラストレーションならば、それも構わないと思う。それは求められることだと思う。
ただ、キャンバスに油絵を描いている今、逃げの姿勢が前提なんて、いくらなんでも恥ずかしい。

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今読んでいる本はこちらです。





最近注目していた「選択」の話。
読み始めたばかりですが、野生より食事や寝床といった待遇がいいはずの
動物園の動物がなぜ野生よりずっと早死にするのかなど、興味深い内容です。

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最近、よく食事とワインをともにしていた人が、数ヶ月仕事で海外に旅立ち、
ネット越しに向こうでの生活の話を聴いて、すごいなあと励まされています。
私も、知識や経験を自ら求めて行動したい。
まずは、久々の展示、はりきります!多くの方の目にとまる作品になるよう、頑張ります。

2011年10月31日月曜日

10 0 01


10月は、
ニュイ・ブランシュ KYOTO 2011」というパリで開催されている現代アートイベントの京都版に行ったり、
前回CDジャケットを制作させていただいた、「 ねじ梅タッシと思い出ナンセンス」のライブに行ったり、
友だちの個展に行ったり、
現役高校生の方の個展に行ったり、
ホームパーティにお邪魔して、作家さんや編集者の方等おもしろい方とお話したり、
今開催中の「michikusaArt」のレセプションで、前からお会いしたかった方とお話したり、
美味しいごはんを食べたり、お酒を飲んだり、おしゃべりしたり、
そんなことをしていました。

毎週たくさんの人と出会えてとても刺激的な生活です。
作品も1点、20号の新作が出来上がりそう。
これは来月、ある展示に出展したいと思ってるので、またここに詳細を記載します。

最近母から薦めてもらって読んだ「深海のYrr」という本がすごく面白かった。



海洋生物が異常な行動を起こし、科学者たちがそれを解明していくSF小説で、
海も、動物も、科学の話が分かりやすく描かれている小説(『天使と悪魔』とか)も大好きなので、寝る間も惜しんで読みました。
科学や、海の話で、新しい知識を学べた一方で、自分が今考えていることにリンクしていることも多かった。
「世界は全てつながっていること」や「一つ一つが世界を築いていること」など。
記憶に残る言葉が多かったです。気が向いたら引用します。

世界はつながっている、というのは、最近考えていることの一つ。
よく聞く言葉に「全は一、一は全」とあるけれど、
自分がどの「一」を選択して「全」を形成していきたいか考えていて、「一」の重みを実感しています。

この話をtwitterで書いたら、「選択するというのは、何かを切り捨てる感じ」という意見を頂いて、
改めて人と意見を交換することの楽しさを実感しました。

人の意見を咀嚼して、自分の意見を生み出すことが、最も自分を知る手段のように思う。
次に描く絵は、これをテーマにして描いていきたいと思ってます。
他人とコミュニケーションすることで、初めて「私」という概念が生まれるということ。

読みたい本が溜まりすぎていて、お財布と相談して、ため息をついています。
今年は随分散財しました。でも自分のためになることを考え直せた、いい機会だったと思う。

自分用も兼ねて読みたい本リスト(一部)=============

反アート入門
シミュレーショニズム (ちくま学芸文庫)
選択の科学
ゼロ年代の想像力
ダリ・私の50の秘伝—画家を志す者よ、ただ絵を描きたまえ!
アーキテクチャの生態系——情報環境はいかに設計されてきたか
フクシマ以後 エネルギー・通貨・主権
まなざしの地獄
緋色の楽譜 上
デザインのデザイン


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amazonのほしいものリストから、割と新しいものを一部抜粋… まだまだたくさんあります。
いつ読めるのやら。。。しかも本屋さんに行けば、上記以外の本を買ってしまうことも多々ありです。
今は内田樹さんの「寝ながら学べる構造主義 (文春新書)」を読んでる。人文学部卒なのに今更読んでる。。先生ごめんなさい。

知ることは楽しいけど、それを話して、新しい考えを身につける、導き出すことはもっと楽しい。
たくさんの人と話をしたいので、本を読んでいます。がんばる。

11月、ますます精力的に動きたいです。

以下拍手お返事です。


>初めまして、pixivからお邪魔します。
>あおばさんの独特な絵が大好きです。
>シンプルながら引き込まれます。


ありがとうございます!(*´`*)すごくうれしいです。
もっといい絵を描けるよう、努力していきたいと思います。
頑張ります!


>あおばさんの撮る写真は、描かれる絵と同じ色をしていますね。素敵だなと思います。

ありがとうございます!
自分ではなかなか気付けないのですが、
そう言っていただけるととても嬉しいです。
もっと自分の世界観を良質なものにできればいいなと思ってます。

コメントありがとうございました(*´`*)

2011年10月14日金曜日

色っぽい色を塗る


大学では、社会学を専攻していたのですが、
全然勉強せずハッピーな日々を過ごしていたので、最近改めて勉強しなおしているところです。
身の程知らずなことを堂々と言うけれど、日本だけでなく、世界を視野に描いていきたい。
最終ゴールはそこに置きたい、と最近思うようになりました。
国際展やフェアや、そんなところで展示されるような作家になりたい。
(大きな目標を掲げて、豆腐メンタルぷるぷるしてる)

そうなると、日本人であるというアイデンティティをもっと意識した作品を作らなくてはいけないと思う。
どこの国で育ったのかということ、その国だから見える視点をもっと研ぎすましたい。
テロや人種差別、アメリカ国債、セクシャルマイノリティ、311、原発問題、
自分が今、どんな時代に生きているかを、もっと叩き込みたい。
リアリティを持った作品作りを心がけたい。
「バナナの日本人」という言葉を最近知った。表は黄色いけど、中身は西欧に迎合して白い。
西欧の芸術史にコミットメントすることと、日本人としてのリアリティを持つ、ということ。
うーん もっと突き詰めて考えなくちゃ。

そして長生きする作品を作りたい、とも思う。
同時代でハイコンテクストを共有するだけの作品にはしたくない。

コンテクストは、将来なくなる、共有できなくなるって話を
最近聞いたけど、それって当然じゃないのかな。
将来に限らず、同時代であったとしても、地域によって、文化圏によって
知らなければ共有できないのは当然のことだと思う。

文豪の作品を読んでも、その時代特有が故に読み解けないコンテクストはたくさんある。
勉強すればする程、より深く楽しめる。
文学作品の中で、この言葉は実はこんな皮肉をこめた冗談だったのか、と知ればもっとおもしろく読める。
もっと簡単にいうと、アメリカ映画の中で、別の映画のパロディがちりばめられていても、
映画をあまり見ない人(私みたいな)にはさっぱり分からない。
でも詳しい人は私の隣で爆笑してる。
ハイコンテクストってそういうことだと思う。

アートを見るということも、そういうことってのは最近分かってきた。
知れば知る程、時代や文化や社会を理解すればする程、アートは楽しめる。
「怖い絵」って本が売れているけど、一見して怖くない絵でも、意味を知れば怖いということ。

でも、今回言っている「長生きする作品」ってのはそれをもう一歩踏み越えたもの、な気がする。

すごく矛盾しているけど、「ぐっとくる」作品。
言葉じゃなくても、コンテクストを共有できる作品。
コミュニケーションが取れる作品。

結局それは、作家の人間性に由来すると思う。
どんな人間か、ということが作品には必ず表れる。

人間力を身につけよう。
社会のことを勉強して、時代のリアリティを持ちたいし、
おいしいごはんを食べて、おいしいお酒を飲んで、自分を充実させたいし、
いい映画を見たいし、素敵な音楽を聴きたいし、おもしろい小説を読みたい。
友だちと笑いあいたいし、いい恋をしたい。失恋だって糧になる。
夕焼け見ながら散歩をしたいし、流れ星を探しながら缶コーヒーを飲みたい。
好きなことや、経験を増やしていきたい。
きちんとした生活を心がけたい。
コミュニケーションを追究し続けたい。

きっとそういうことだと、思った。
自分の人間性を高めたい。
もっと、もっと色んなことに精通した人間になりたい。
貪欲にコミュニケーションを取り続けていこう。
他人からしか学べないのだ。
自分ひとりじゃ、何も生みだせない。

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最近は、初めての20号に挑戦しています。本当はもっと大きいのが描きたい。50とか、100とか。
アトリエ借りたい、と悶々しています。だれかアトリエシェアできる人いないかなあ。

この前の作品は、初めてコンセプトを掲示しましたが、
これからは、掲示することはしないと思います。
今まで、コンセプトを自分の中でも明確にせず制作していたので、
前回はそれを言語化するための習作でした。
これからは掲示しなくても、自分の中でコンセプトを打ち立てて、制作していきたいと思います。
受け取り方は、見る人の感情のどこにリンクするかによって、
全く違うものになるだろうし、それがアートの楽しみ方の一つでもあると思う。

ひさびさに展示に参加して、生で絵を見ていただきたいので、頑張って描きます。



こないだ友だちと鴨川でだらだらビールを飲んだ時の空。
横トリの広報の色に似ててドキドキした。