2012年9月11日火曜日

黄色い夜 つづき


昨日の絵はこうなりました。



次はこんなのを描き始めました。

がむしゃらに数を描こうとしてるけど、
いいものが描けないと凹むばかり。
上の絵も本当は全然気に入ってない。

それでも数を重ねていたら、何かが見つかるかもしれない。
知らずと上達するかもしれない。
そう信じることでしか、進めそうにありません。

なんでこんなに必死なんだとか、苦しいんだとか、気分が晴れないんだとか、
いがいがする気持ちに苛まれてるけど、手の動きは止めないようにしよう。
最近だめだなあ。
自分の作ったものが好きになれない時期は辛い。
がんばらなきゃー

2012年9月10日月曜日

黄色い夜

ずっとキャンバスに描いてたけど、
久々に紙に描くのを復活しようと思い、
昨日の夜は練習してました。


無印の80円の色ペン使って描いてます。



そしてサクラクレパス。
クレパスは想像以上に楽しかった。
混色の具合が絵具の様で好み。



もうちょっとのところでタイムオーバー。
続きは今夜。
しばらくは練習期間です。
長らく青と黄色の組み合せを描きたかったので満足感があります。
きっとロスコとムンクの影響。

オイルパステルを取り入れようと思います。
今後の方向性がだいぶ固まったので、挑戦もしやすい。
がんばるぞー

今週末はDESIGNEAST京都アートフリーマーケットに行きます。

2012年9月5日水曜日

human or animals?



高校の英語の授業で、"human or animals?"というテーマでディベートをしました。

"人間の方が動物より優れている"と主張するグループと、
"動物の方が人間より優れている"と主張するグループに別れ、
英語で議論し、第三者にどちらの論理の方が優れているかを判定してもらう、という内容です。

私は、"人間の方が動物より優れている"と主張するグループに振り分けられたため、
その主張をすることになりました。
そこで私が主張したことは、
「人間にはあのアート作品のように自己表現活動を行う。(偶然絵が飾られてる部屋でした)
動物と違い、生命の維持に直接関わりのない行動をとる。
その行為は、社会を形成し、文化を生み出す。
そのような活動は動物には出来ない。だから人間の方が優れている。」
というものでした。
この時のスピーチは後にALTの先生からこっそり褒めてもらえたこともあり、今でもよく覚えています。

その主張から考えると、当時の私が漠然と捉えていたアートとは、「形として残るもの」でした。
しかし、改めて考えると、その感覚は今でも共通している部分があるのではないか、と思います。
身体表現についてはとても無知なのですが、すごく動物的な表現活動といえるのではないかと最近思ったのです。
ダンスや演劇や、パフォーマンス等は、アートというより動物の求愛行動等に由来しているもので、
私がアートと捉えている、形に残るものは、根本を辿ると表現より記録に由来しているのかもしれない。

スポーツも含め、ダンス等身体表現活動は、「生きる」ことに密接に感じる。
そしてアートは、「生きる」活動から一歩距離を空けている、
私はアートとそのように向き合っている、と感じました。

最近、動物的な生き方をするということに対して、
自分が如何に疎かったかを実感したので、そんなことを思い出し、考えてみました。

アートが記録である、はおかしいことではないかもしれない。
しかし、記録は、肉体がないと残せない。
動物的と人間的な生き方のバランスをもっと意識して生活しよう、と思います。

2012年9月4日火曜日

善良で怠惰な動物におなり 
四本の足を投げ出して
カプートの別荘へおいで

世界なんか
父さんなんか問題にするな
もしきみがそうしたいなら
(君のコンプレックスの対象である父より)


あの詩には愛がある
あの詩には愛しかない

(中略)

愛が孤独を救うことはないのだ
恋だけが
ひととき人の孤独を忘れさせる
ただ恋だけが 
一瞬
愛の無力を忘れさせる

吉野朔実さんの短編作品「カプートの別荘へおいで」より
前半は、アインシュタインが次男に宛てた手紙の一節らしい。
じわじわと身体に入ってくる言葉。

「頭がいい」と「惹き付けられる」はつながらない。
世界を知っている人が、他人を愛せるとは限らない。
知識がある人が、品があるとは限らない。

世界に対して馬鹿馬鹿しいと言いたくなる日だってある。

2012年8月27日月曜日

明日を考える日々


先が見えなくなっていたけれど、
ようやく決めることが出来た気がする。
定めることが出来た気がする。

具体的な期限と目標を設置して、
しばらくは寄り道しないようにしよう。
2年半、たくさん遠回りして、一番始めの場所に戻ってきた。
人生を変えるような素敵な遠回りだった。
でももう私は、他人の価値観に怯えて選択するような、
そんな弱い人間でありたくない。

2012年8月23日木曜日

生きてた


そういえば、先日人生初の胃カメラを体内にいれました。
胃炎と軽い潰瘍だったのですが、それはいいとしても、
手術も受けたことないので自分の体内を初めて見た。
身体の中は想像よりずっときれいなピンク色で、
胃が赤とピンクのきれいな縞模様になってた。(縞模様は胃炎の症状で痛みが酷いタイプらしい)

胃はカメラが入っている最中も伸縮を繰り返しているのですが、
意図的にコントロールしていないのに身体の一部が動いてるのを目の当たりにして、
自分の意志と関係ないところで、自分が生きてるように思えて、なんだか変な気分でした。
例えば、頭で死にたいと考えている間も、
身体の中では生きるための活動が常に行われているということ。
逆に頭は生きたくても、身体の中に病気を抱えていることもある。
胃カメラ飲んで、お薬頂いてからは、安心したのか胃も痛みません。
思考だけで生きている訳ではない、ということを、
見えないところで活動している人や場所がある、ということを、
ちょっぴり思い出しました。

私の地元には今でも活動している火山、大好きな阿蘇山があるのですが、
火口の中の液体の量は、日によって増減するし、
ガスの量が多い日は火口のそばに近づけないこともある。
火口の中の液体の正体は、マグマの成分が溶けた水らしい。
鉄が緑色、銅が青色になるとのことなので、日によって色が違うように見えるのは、
鉄と銅の比率が変化しているからなのかな。
火口の中の水色、体内のピンク色、
それらは、絵でも写真でも表すのは難しい程鮮やかで、そこに命を感じるのだ。
阿蘇山の火口を見る度に、生命力を感じる。
自分も、地球上にいる生き物すべても、地球も、生きてると感じる。

圧倒的な景色を時々見ないと、自分を俯瞰できなくなってしまう気がします。
頭の中でも、広角レンズとマクロレンズを使い分けれるようになりたい。
休みぼけがようやく治ってきました。
目標を常に設定することを心がけながら、残りの2012年も過ごして行こうと思います。

2012年8月21日火曜日

霧の中にいる



お盆は1年ぶりに実家に帰りました。
犬が随分老けてた。

今後、どうやって生きていきたいのか。
どのような働き方をしたいのか。
以前より曖昧で、靄がかかっている。
海外に行きたい、や、動物園の職員になりたい、
動物カメラマンになって世界中を回りたい、
そんなことばかり考えてしまっています。

休みぼけの気もするので、気合いいれて仕事しよう。
こういう時ほど、日々の生活をきちんとすることが大事だと思う。思いたい。

7月頭に行った、森美術館のアラブ・エクスプレス展のことを今でもよく考えています。
その後に「キリスト教のふしぎ」を読んだのもタイミングが良かった気がする。
イスラム圏では、日本のようなものづくりの国と違い、思想の方が大事だとされているらしい。
それは偶像崇拝禁止に起因しているのではないか、と思いました。
アラブ・エクスプレス展では、ステレオタイプのアラブのイメージを覆すような作品や、
アラブの社会問題を表す作品群が多かったけれど、後々考えると宗教を感じなかった展示のように思う。
ものづくりが重視されていない環境において、アーティストってどんな立場なんだろう。
日本は、アーティストが生きていく為の環境が整っていないと思っていたけれど、
ものづくりの国ではあるので、制作に対しては許容されている雰囲気なのかもしれない。
この話は最近考えていることに繋がる気がするので、もっと考えてみます。

頭が回らないときは、思考のきっかけとなるよう、人と会い、本を読み、展示を見たい。
そして揺らがない軸を30歳までに築きたい。