2012年8月21日火曜日

霧の中にいる



お盆は1年ぶりに実家に帰りました。
犬が随分老けてた。

今後、どうやって生きていきたいのか。
どのような働き方をしたいのか。
以前より曖昧で、靄がかかっている。
海外に行きたい、や、動物園の職員になりたい、
動物カメラマンになって世界中を回りたい、
そんなことばかり考えてしまっています。

休みぼけの気もするので、気合いいれて仕事しよう。
こういう時ほど、日々の生活をきちんとすることが大事だと思う。思いたい。

7月頭に行った、森美術館のアラブ・エクスプレス展のことを今でもよく考えています。
その後に「キリスト教のふしぎ」を読んだのもタイミングが良かった気がする。
イスラム圏では、日本のようなものづくりの国と違い、思想の方が大事だとされているらしい。
それは偶像崇拝禁止に起因しているのではないか、と思いました。
アラブ・エクスプレス展では、ステレオタイプのアラブのイメージを覆すような作品や、
アラブの社会問題を表す作品群が多かったけれど、後々考えると宗教を感じなかった展示のように思う。
ものづくりが重視されていない環境において、アーティストってどんな立場なんだろう。
日本は、アーティストが生きていく為の環境が整っていないと思っていたけれど、
ものづくりの国ではあるので、制作に対しては許容されている雰囲気なのかもしれない。
この話は最近考えていることに繋がる気がするので、もっと考えてみます。

頭が回らないときは、思考のきっかけとなるよう、人と会い、本を読み、展示を見たい。
そして揺らがない軸を30歳までに築きたい。

2012年7月31日火曜日

上半期のベストショット



この花火の写真が今年上半期のベストショット。
iPhoneで撮ったものだけど。
琵琶湖でバーベキューして、花火を見てきました。

7月は楽しいことがあり過ぎて、自分が散らばっている。
どこかで私の一部が迷子になっている気がする。
目まぐるしいほど、それでも本当に楽しい月でした。

2012年7月19日木曜日

終わりなき日常


先日、実家の犬が急死してしまい、とても落ち込んでいました。
体調が悪いと聞いて、週末に里帰りしようと思っていたのに、それすら間に合わなかった。

前々回の記事で、「失ったものはもう一度築けるはずだ。再構築には学べる過去がある。」と書いたばかりなのに、どうしても再構築できないものがあると気付かされました。

その時期に、大事な人に言われた、「悔いが残らないように、たくさん思い出してあげて」という言葉が、すごく印象的で反芻しています。

誰かを亡くした時、その辛さをどう処理するか。
日常に溢れる辛さの処理方法は人それぞれ違うのだろうけど、
近しい存在を亡くした時は、思い出を共有できる人とたくさん話すことが、共通の行動であると思いました。
お葬式ってきっとその為の場なんだろう。
生きている人が気持ちを落ち着かせる為の場なんだろう。

最近見た「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」という映画も、
家族を亡くした子どもや母親が、混乱をどう収めていくかがテーマの映画だったと思います。
主人公の少年は、もがきながらその方法を追究していたけど、
母親と笑いながら思い出話をすることができた瞬間が、一番大きな境目に見えました。

私がジャケットを描かせていただいているバンド、「ねじ梅タッシと思い出ナンセンス」の「火葬場で思い出したよ」という曲も、
大好きなハンバートハンバートの「大宴会」という曲も、
お葬式をモチーフにした曲ですが、悲しみと並行して笑顔や懐かしさがあるのは、
「死」よりも「生きる」ことを見つめている作品だからではないか、と思います。





生きていく限り、悲しみ続ける訳にはいかない。
悲しみを背負い続けて、生きていく訳にはいかない。
自分でどうにかして、悲しみを昇華させなくてはいけない。
逃げたり、泣いたり、お酒を飲んだり、タバコを吸ったり、ヤケ食いしたり、性に溺れたり、運動したり、歌ったり、
あくまでそれらは過程であり、辿り着くべき姿がある。
自分の辿り着くべき姿を見つけておかないと、いざという時に過程の段階から抜け出せなくなるのだろうな、と思いました。

私は、宮台真司さんの「終わりなき日常を生きろ」という本のタイトルが
すごく好きで、辛いことがあるといつも思い出しています。
(本自体はまだ読めてないのでタイトルだけです、すいません)
終わりだと思っても、終わりではない。
漫画みたいにコマが変わると一年経っている訳ではない。
おなかがすくし、トイレに行くし、次の日がくる。
たったそれだけのことを、意識して自分に説かなくてはならない人が、
今の世の中には、私を含めてたくさんいるのでしょう。

バーチャル的な「終わる日常」が生まれる日が先にくるのか、
「終わりなき日常」であることを社会が認識する日が先にくるのか。
(したことないけどネットゲームとかは既に前者なのだろうか。)
何となく今の社会は、辛いに対する耐性が弱まっているように思うのです。
見ないフリをするか、終わらせるかの二択になっているように思うのです。

私は、見ないフリをするタイプだ。
だからこそ、「悔いが残らないように、たくさん思い出してあげて」という言葉が響いたのだと思います。
もっと地に足をつける人になりたい。そして今後の社会もそうであってほしい。

2012年7月5日木曜日







実家の犬が死んでしまった。
あんなにいいこだったのに。

2012年6月29日金曜日

ラブレター






火曜日、26日に25歳になりました。
友達からたくさんメールや電話をいただきました。
どうもありがとう。

20代後半は難しい。
自分にとって本当に大切なことは何なのかを追求していきたい。
その反面、何もかもに手を出してみたい。30代以降の人生のために。

一年前、24歳ははじまりの日から最高に素敵な日だった。
1日友達と一緒にいて、焼き肉をご馳走になった。
そのまま鴨川の川辺でお酒を飲んでいたら、
いつのまにか友達がたくさんやってきてくれて、
10人くらいで喋って、笑って、空を仰いだ。

振り返ると本当に素敵な年だった。
人に恵まれ、新しいことをたくさん知り、自分の夢が形を変えた。

いつも話してくれてありがとう。
ごはんに誘ってくれてありがとう。私の週末は大抵誰かと一緒にいる。
自分の好きな人に囲まれているなんて、本当に幸せだ。

大好きな人、ありがとう。
きみに会えて世界が変わった。これからが変わった。

大学入学当時の18歳、それから6年が経った。
何が変わって、何が残ったんだろうか。

時々、世界が終わってしまえばいいのにと思うことがある。
ニュースを見て暗雲たる気持ちになることもある。
私は早く死ぬだろうなと思うこともある。
死ぬときは自殺だろうなと思うこともある。
弱さに孤独、自意識過剰、視野の狭さに回転の遅さ、利己的さも傲慢さも
1人で立っている時には、全てが自分の中に鎮座していて、気付いているがなす術は無い。
誰かといると、時にはそれらが顕著に表れて苦しめる。
でも誰かといると、それらが良い方向に転換されることだってあるのだ。

可能性の話をしよう。
明日の話をしよう。
どんなことだって、いい方向に向かっているんだ。
失ったものはもう一度築けるはずだ。再構築には学べる過去がある。
きっとそうだ。
私はそう思いたい。
そう思って生きていきたい。

きみに会えて本当に良かったと伝えたい人や場所がたくさんいる。
そう思える人生を生み出してくれた両親に、まず1番の感謝を。
私の誕生日は、両親にとって、親になって○年目の記念日だ。
本当にありがとう。

自分の家族がほしいと思う気持ちが日々強くなってきている。
私はめんどうくさい人間だけど、遠回りしても躓いても、きみと手をつないでいたいのだ。
たくさん笑っていたいのだ。
大きな窓のある家に暮らしたいのだ。
黒猫とグレーの猫と二匹の大きい犬を飼いたいのだ。
祖母のようにたくさんの植物を育てたいのだ。
母の家のようにどの部屋にも本棚を置き、余った壁には作品を飾りたい。
ホットケーキを作ってもらった記憶、お尻を叩かれた記憶、
とんぼを捕まえた記憶、秘密基地を作った記憶、
愛された記憶、愛した記憶。
記憶を新しい未来として現実に生み出したいのだ。
そして自分の一番大切な人を救えたらきっと、それだけできっと。

2012年6月11日月曜日

誰かと生きる


5月から楽しいことがたくさんあったのですが、
書くのが追いついていなかったので箇条書きで書いていきます。

いろいろトーク(第一回目)に行きました。
vol.01 ANTEROOMについてのお話」
宇治の萬福寺に座禅の体験に行きました。
紙の毛を切りました。
個人でお受けしているお仕事の打ち合わせに行きました。
国立国際美術館で開催されている「国立国際美術館開館35周年記念展 コレクションの誘惑」に行きました。
grafで開催されていた「紙と束見本展に行きました。
京都水族館にひとりで行きました
京都えき美術館で開催されている「リスベート・ツヴェルガー絵本原画展」に行きました。
「CAVE」にて女の子のことを考える「女子ドク会(二回目)」に参加しました。
シマウマ柄のシャツを買いました。

などなど

久々に良い出会いがあって、
アートの話や本の話、音楽の話、たくさん話をしました。
どの話をしていても、「この作家の話はあの人としたな」とか、
「このことはあの人に借りた本に書いてあったな」とか、
何年も前の記憶からここ1年くらいの記憶までたくさん思い出しながら話をしました。
本を読んで得た知識など微々たるもので、記憶にもきちんと残っていない。
でも誰かを通して得た情報は、自分の中に根付いている。
たくさんの人と出会ったことで自分が築き上げられているとまた感じました。

「何をしたいか」を考えて仕事をすることも大切ですが、
私の場合は、「誰と」仕事をするかが大切だと思っています。
仕事に限らず生きること全てにおいて、「誰と」を重視していきたい。
そして、自分が求める「誰か」にとって、何かを与えられる人間でありたい。

最近、好きな人のことをよく考えていました。
好きな人と自分のこと。もしかしたら自分のことかもしれない。
好きな人のことを考えるのは、自分のことを考えることにもつながる。
自分のことを好きになると、好きな人のこともますます好きになる。
幸せにしたい、は、幸せになりたい、かもしれない。
嬉しいとか、楽しいとか、ここが好きとか、いいところをたくさん見つけ合って、
相手も自分も幸せになれば嬉しいと思います。
相手の嬉しいが、自分の嬉しいになるのは、想像以上に素敵なことだと改めて実感しました。
悪いこともいいことも連鎖する。どちらを選択するかは、何を求めているかによる。

気持ちが整理されて、今とてもいい感じで暮らしています。
良いことの連鎖を紡ぎ出せる人であれたらいいなと思います。

2012年6月4日月曜日





いつでも
どこでも

昨日も
今日も
明日も